コロナ上野介
殿中「松の廊下」での刃傷沙汰により、浅野内匠頭は将軍綱吉じきじきに即日切腹を命じられました。
一方、相手方の吉良上野介は、当時は「喧嘩両成敗」がご定法だったにもかかわらず、何のお咎めもなし。
このとき、上野介は、「やれやれ助かった」と胸をなでおろしたはずです(時代劇では、「こっちは被害者なんだから無罪放免は当たり前だ」みたいなセリフを吐きます)。
その後、赤穂浪士に討ち入られ、哀れにも首をはねられる結果となるわけですが、そのとき、上野介は激しく後悔したに違いありません。
あのとき、自分も相応の罰を受けていれば、こんなところで死なずに済んだのに、と。
時は流れて、現在。
コロナ騒動に加担した連中は、法律や条例を改正してまで、罪を逃れようと奔走していますが、最期は上野介と同じ運命をたどることになるだろうと、こながは予測しています。
「罰を逃れようとすること自体が罪を重ねることになる」のをまるでわかっていない様子。
私が彼らなら、さっさと罪を白状し、進んで罰を受けるでしょう。
なぜなら、罪を認めるのが早ければ早いほど、罰が軽く済むからです。逆に、遅れれば遅れるほど、世間の怒りを買って、重い罰を科せられることになります。
あまつさえ、「お咎めなし」で逃げ切ろうものなら……
炭焼き小屋の前で首をはねられるバッド・エンディングが待ち構えていますよ。
『歴史に学ばぬ者は同じ過ちを繰り返す』
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