マスク信者は手段を選ばない
とにかく多忙なため記事が書けません……
この前触れた「マスク有効性」の話がどれだけデタラメかを簡単に解説しておきます。
マスクには感染予防効果がないどころか、その物理的特性から、むしろ感染を促進する疑いが濃厚であることは、これまでさんざん書いてきました。
もっとも、「マスクの有効性(という幻想)」にすがりつく「信者」の皆さんですら、「効果は限定的」であることは(しぶしぶ)認めているようです。
このように「効果の発現がわずか」しかない事象を調べるには、とにかくサンプル数を増やさなければいけません。
サンプルが少ないと、「偶然」や「誤差」が過大に評価されてしまうおそれがあるからです。
20人を10人ずつの2グループに分け、一方にはマスクを着用させ、もう一方にはマスクを着用させない。その結果、前者では2人、後者では3人の感染が確認されたとしましょう。
10人当たり2人と3人では、ほぼ同数で誤差の範囲。とても信頼性の置けるデータではないのですが、あら不思議、メディアの手にかかると、「感染率30%を20%に抑えることができた。(1-20÷30)×100=33%の奇跡の予防効果!」となってしまうのです。
その記事には、「マスク着用で感染を3割以上抑制!」と、デカデカと見出しが打たれることでしょう。
感染を2割も3割も抑えたら、1週間もあればたちまち感染が収束してしまうことは、以前に「べき乗の凄さ」を解説した際にグラフをお見せしましたね。
でも、現実にはそんなことは起こりませんでしたし、何より国民の9割がマスクを着用した極東の島国では、ほかのどの国よりも感染が広がってしまいました。
科学で最も大事なのは、「現実をつぶさに観測すること」です。
研究者がどんなデータを提示しようと、現実世界を正しく反映していないなら、しょせんは「切り取り」でしかありません。
そもそもマスクの効果を検証する難しさは、ランダム比較といいながら、対象者の属性が本当にランダム化されているか怪しいところにあります。
上記の例にしても、マスク着用で感染した2名は、まるで接点のない赤の他人同士なのに、マスク非着用で感染した3名は、実は同居している家族かもしれない。同じ屋根の下で暮らしていたら、マスクの有無に関係なく接触感染を起こした可能性もあり、こうした「変数(交絡因子)」を考慮に入れなければ、ただちに「マスクの効果があった」などと結論づけることはできないはずです。
「マスクの有効性」を調べるには、マスク以外の要素をすべてそろえなけれないけません。
研究の対象となった人々は、研究以前の段階では感染していなかったのでしょうか。仮にまだ発症していない潜伏期間の人がいたら、最初のスタート地点が違ってしまいます。
被験者の年齢、性別、ライフスタイルも考慮に入れる必要があります。マスクとは関係なく、ある種の行動パターンこそが感染に大きく寄与しているかもしれないのです。
サンプル数をたくさん集められないなら、せめて相当期間にわたって調査を継続しなければいけません。
この点でも、「マスクに効果があった」とする研究はどれも不十分です。
属性の定かでない、たった数千人という少規模で、しかも1~2か月程度の研究では、「ノイズ(偶然)」が大幅に拡大されて、誤った結論に到達するおそれがあります。
実際は、ほかにも同様の研究がたくさん行われたものの、いずれも効果をまったく証明できずお蔵入り。そのうち、「効果がありそうに見える部分」だけをうまく切り取ることができたので、嬉々として報道してだけだと私は考えています。
ゆえに、(科学的にほとんど意味のない)「少人数・短期間」という、しょうもない研究になってしまったということです。
こんな無価値な研究を堂々と発表する研究者も、それを記事にするメディアも、科学の「か」の字も知らない素人としか言いようがありません。
しかも困ったことに、こうした研究を発表する研究者は、必ずしも「研究費欲しさ」とは限らないのです。
本人自身が熱烈な「マスク信者(マスクこそが人類の救世主と妄信している)」である場合、うっかりマスクに効果がないようなデータを発表すると、人々がマスクを着用しなくなってしまうため、データを粉飾してでも世界中がマスクを着用するように仕向けたいという、一種の「善意(独善)」でやっている可能性があるのです。
いわば「目的のためなら手段を選ばない」タイプの人です。
キリスト教こそが世界を救うのだから、キリストを信じない異教徒は皆殺しにするのが人類のためである、という発想と似ていますね。
何度も述べているように、「マスクは宗教」なので、そうした連中と科学的に議論することは不可能なのです。