他者の自由と自分の自由
いまだに残党どもが街をゾンビのように徘徊していますが、「マスク教」が全盛を誇ったころ、私は
マスクを着ける自由を守りたければ、マスクを着けない自由を守れ
と書きました。
「他者の権利を平気で弾圧する」ということは、同時に「自身の権利が抑圧され得ることをも許容した」ということなのです。「他人は駄目だけど自分はいい」という虫のいい話はこの世にありません。
「次世代ワクチン」接種者の入店を拒否する店が増えているんだとか。それを「専門家」先生は、「非科学的(科学的根拠がない)」と言いたいようです。
でも、幾つかのコメントで指摘されているように、ほんの数年前は、マスクをしていないだけで、ほとんどの場所で入店を断られたものです。それこそ犯罪者同然の扱いでした。
「マスクをしないやつに人権はない!」
「素顔をさらすのは殺人に等しい!」
「反マスクは逮捕して投獄しろ!」
という過激な意見もありました(というか大半だった)。
明らかに憲法違反の人権侵害なのですが、法曹関係者ですら、その点を指摘する人間はほとんどいませんでした。
「マスク非着用者が感染を広げる」なんていう科学的根拠はまったくなかったのに、主にメディア(と尻馬に乗ったの扇動者)により、そういう「空気」が生まれたのです。
でも、しょせんは科学性のかけらもない、ただの「空気」なので、風向きが変われば状況は一変します。
すでに世界では、「マスク着用(顔を隠す)」による「匿名性」が犯罪を助長するおそれがあるため、マスク着用を禁止する地域も出始めているそうです。
いわゆる「シェディング」に関しては、まだ何とも言えません。機序は理解できますし、シェディングが起こっていると推測される研究もあるようですが、では、どういう条件がそろったときに起こり得るか、の部分がまだまだ不足しているように思えます。今後の推移を見守るしかありません。
もちろん、
証明されていないから存在しない
ということはなく、「可能性はゼロではない」のは確かでしょう。判断を下そうにも、とにかくデータが少ないのです。
仮に接種者からの1次感染が認められても、さらに2次感染、3次感染……と広がっていくのか、間にこれまでコロナワクチンを一度も打っていない非接種者(正常な免疫を保持している人)が挟まった場合、感染はそこで止まるのかも不明です。
もし今後、シェディングが科学的に解明されれば、レプリコン接種者は「入店お断り」どころか、施設に「完全隔離措置」となるでしょう。
最悪の場合、外出は一切禁止、個室に閉じ込められ、死ぬまで家族や友人ともガラス越しにしか対面できなくなるかもしれません。「公共の福祉」のために、ほぼすべての自由を剥奪されることになるわけです。そのときになって、いくら文句を言っても、世間が許さないでしょう。この世間とは、かつて「反マスク」と罵詈雑言を吐いた、付和雷同型の一般庶民を指します。
珍コロ騒動の当初、「最悪の事態を想定するのがリスク管理」というコメントがありました。
となれば、次世代ワクチンを接種する人は、最悪の事態「隔離・監禁」があり得ることを覚悟しておかなければなりません。
それもこれも、たかが「顔オムツ1枚」のことで簡単に「人権蹂躙」することを、人々が許してしまったからです。
自分の自由を守りたければ、他人の自由を尊重する
この大原則を放棄した結果ということです。