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「優生論」という愚の骨頂

「優生論」は、平たく言えば

人間の品種改良

です。

これを唱える連中は、インテリぶってチャールズ・ダーウィンの名前を持ち出し、さも「進化論」を理解しているかのように持論を展開するものです(政治家や経営者に多い)。
でも、ほぼ確実に「種の起源」すら読んでいません。間違いなし。もしそうでないという「優生論者」がいたら、次の質問をしてみてください。

では、アルフレッド・ラッセル・ウォレスはご存じですか?

ダーウィンとラッセルは、「進化論」においてニコイチの存在なので、ラッセルを知らずにダーウィンを語ることはできません。

同様に、CO2と地球温暖化について(偉そうに)語る人間には、こう問うてみてください。

では、ミルティン・ミランコビッチをご存じですか?

ミランコビッチ・サイクルを知らずに気候変動を語ることはできません。
※興味を持たれた方は、ラッセルとミランコビッチを検索してみて!


話を「優生論」に戻します。

「優生論」は、それ自体が自己矛盾をはらんだ思想です。
肉体的・精神的・知的に「劣悪な個体」を人為的に淘汰することで、「優秀な遺伝子」だけを残そうというのが「優生論」なわけですが、何をもって「劣悪」と「優秀」を区別するかという「そもそも論」はおくとしても、こうした思想自体が完全な「自己否定」になっていることに、彼らは気づいていません。

どんなに優秀な人間でも、その家系をたどれば、9割以上が凡人ばかり。中には病弱で早世した近親者もいたでしょうし、法に背いた悪人すらいたかもしれません。
皆さんは、ヒトラーの祖父母や大谷翔平の曽祖父母、ビル・ゲイツの5代前のご先祖様の話を聞いたことがありますか? 聞いたことがないのは、「その他大勢」の1人にすぎないからです。

「優生論」を認めるということは、そうした先祖が1人でも存在した時点で、あえなくその家系は断たれ、現在得意になって「優生論」を唱えている彼・彼女自身が、この世に生まれてきていないことを意味します。
つまり、優秀な人間というのは家系や血筋から誕生するのではなく、時と場所を選ばず、まったくランダムに登場するということ。
いつどこで登場するか誰にも予測できず、どの枝が伸びて大輪の花を咲かせるかわからない以上、人為的に「劣悪な個体」を淘汰するなんて、愚の骨頂というわけです。

また、便宜上「優秀な遺伝子」と書きましたが、本来遺伝子には「優秀」も「劣悪」もなく、単に「現在の環境にマッチしているかいないか」だけの問題です。
今はどんなに「優秀」と思われている人でも、環境が激変すれば「無用の長物」と化すおそれがあります。
太陽フレアの影響で、あらゆる電子機器が未来永劫使用不能となった場合、コンピュータスキルは何の役にも立ちません。二刀流の野球選手も同じ。文明が崩壊した社会で「優秀」とされるのは、サバイバル技術を持った人間でしょう。

そのような環境の激変に対処できるように、リスクヘッジとして「多様性」があります。どんな環境になっても、全滅せずに「誰か」は生き残っていけるように、我々は「多様性」を備えているのです。
SDGsを声高に叫ぶ人間に、「多様性」を正しく理解している人間はいません。

全員がmRNAワクチンを打つのは、極めて不健全な社会です。健全で賢明な社会なら、リスクヘッジとして打たない人たちを尊重するはず。全員が100%ワクチンを打った後で、当該ワクチンが不良品だと判明したら、集団が全滅してしまうおそれがあるからです。でも、打たなかった人たちがいれば、その人たちが希望の火をつないでくれます。


「優生論者」が求めているのは、能力的に「優秀な人」ではなく、自分たちが理想とする社会にとって「有益な人」にすぎません。いわば、思いどおりに扱える「奴隷」です。
「優生論者」の正体は、「人類の未来を憂える者」などでは決してなく、「おぞましい悪魔のようなエゴイスト」たちなのです。

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