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fugusaka
「マスク公判」を維持できない
法廷でしばしば
公判を維持できない
といった言い回しが登場します。
有罪を立証しようとする検察側の論拠が崩れ、もはや論告求刑まで持ち込めない(起訴を取り下げるしかない)ような場面で用いられます。
マスクをめぐって、それとまったく同じ状況が起きています。
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「専門家」たちがマスクをあれほど推奨したのは、
飛沫を捉えて感染を予防できる
という一見科学的な主張でした。
ところが、コクラン・レビューをはじめとする幾つかの「信頼の置ける」論文により、その主張が「科学的に誤りである」ことが証明されてしまいました。
論拠がもろくも崩れ去ったのです。
このままでは「公判維持できない」と踏んだ「マスク検察官」たちは、「科学的」の部分をうやむやにし、「マナー」だの「同調圧力」だのといった「抽象的概念」を持ち出して、話をはぐらかそうと必死です。
上記の記事も、マスクのもともとの存在意義だった「感染予防」はどこへやら。そこにはいっさい触れず、ただただ日本人のメンタリティーに論点をすり替えています。
しかし、この論争の争点は、「マナー」でも「同調圧力」でも「日本人のメンタリティー」でもありません。
マスクに感染予防効果があるのか
ただその1点です。
効果がない(むしろ悪影響)なら、即刻着用をやめるべき
実に単純な話です。
つくづく、セコくて「卑怯」な連中ですね。