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ケネディJR.は極めて「科学的」である(感染症専門医なんかより)

私だって、ケネディJR.の主張を何も疑わずに100%受け入れているわけではありません。
疑問を感じる点は多々ありますが、大事なのは

●ワクチンを再検証する

この1点!
それこそが、世界を正常化する出発地点になるからです。

前回も書いたように、科学は「再検証」により修正・訂正を繰り返し、ちょっとずつ進歩してきました。なのに、現在はどこの国もコロナワクチンの効果検証を一切行おうとしません。
それどころか、世界中の研究機関が独自に検証を行った研究を「報道しない(させない)」という、異常なまでの「ワクチン信仰」がまかり通っているのです。

検証されたら、よっぽど都合が悪いのか。
挑戦を堂々と受けて立つことができないということは、政府&製薬企業が調べられることを嫌がっている、もっと言えば「恐れている」のは間違いありません。

そもそも「機密契約」をタテにワクチンの成分分析すらできないなんて、そこには科学の「か」の字もありません。


マスメディアはケネディJR.を「非科学の陰謀論者」と印象づけようと必死ですが、私が見る限り

現在、世界中で最も科学的な人物

の一人です。
少なくとも、テレビに登場する「自称・感染症専門医」なんかよりは、はるかに「本物」と呼べるでしょう。


さて、「ケネディ」を含む語句で検索すると、X(エックス)にはさまざまな投稿が寄せられています。批判や攻撃も多い。
ただし、いくら文字数に制限があるとはいえ、合理的な批判はなく、ヒステリーを通り越して、ほとんど「狂気」レベルの「人格攻撃」ばかり。
まさに「狂信者」「原理主義者」の態度です。

というわけで、代表的なものに批判・反論しておこうと思います。

①ロバート・ケネディJR.は科学者ではない

→まさか、彼が孤立無援で単に個人的な感想を述べているだけとお思いか。
当然ながら彼の周囲には、顧問やアドバイザーとして大勢の科学者がついています。中には、「(ワクチン信者の大好きな)立派な肩書」を持った優秀な博士たちもいます。そうした人々から、きちんとレクチャーを受けているのは確実です。
ましてや、彼は弁護士出身なので、証拠を論理的に積み上げていくのはお手の物でしょう。
本人が、いわゆる科学者でないからといって、必ずしも「非科学的」な人間であるとは限らないのです(かくいう私もそうですし)。


②ケネディ家の人間も彼を信用していない

→彼が「科学者」でないというなら、いとこのキャロライン・ケネディは「科学者」なのでしょうか。「ロバートは科学者でないから信用できない」ということは、同時に「キャロラインも信用できない」ことになるのですが(しかも、キャロラインの周囲には恐らく科学スタッフがいない)。
「科学」は、誰が信じようが信じまいが、人間の思惑とは別個に存在するものです。なので、身内が何を言おうと関係ありません。
「科学的」であるのに、家族の賛同など必要ありません。ガリレオやダーウィンの親族も、きっと世間とトラブルを起こした彼らを疎ましく思っていたでしょうね。


数ある「ケネディ批判」の中でも最も呆れたのが、

③不幸にもワクチンが原因で死亡した人もいるが、ワクチンがなければ何十万人も死んでいた

というものです。

「記憶の捏造」も甚だしい。過去を自分に都合よく書き換える「歴史修正主義者」の典型的な手口です。
少なくとも我が国においては、ワクチンが登場する前の新型コロナ流行時には「超過死亡が減少」したのです。これは公式発表に基づく、れっきとした事実。
どういう機序だったのかは置くとして、

ワクチン導入後から死者数が激増した

この事実は動かしようがありません。
普通に考えれば、

ワクチンがなければ大幅に死者を抑えられた

と考えるのが「合理的推論」です。
なので、事実から目を背け、勝手な妄想で「ワクチンが大勢を救った」と述べる人こそ、筋金入りの「陰謀論者」と呼べるでしょう。


もう一度言います。

ちゃんと検証しろ!!!

ワクチンだけじゃありません。
「基本的感染対策(いまだに言っているアホ医者がいる)」に本当に効果があったのか。
なぜそうまでして、確かめられるのを嫌がるのか。

間もなく、イーロン・マスクがあらゆる情報を公開したあかつきには、すべてが明らかになるでしょう。


もしかすると、リベラリストたちが危惧するように、トランプ政権は「独裁政権」になってしまうのかもしれません。
でも、そのきっかけをつくったのは、まさしく当のリベラリストたちです。
「公衆衛生」に名を借りた「戒厳令」を敷き、人々にワクチンを含む「感染対策(=人権侵害)」を強要しながら、自分たちはこっそり集まって夜な夜なパーティーを繰り広げていた連中です。
その揺り戻しが現状を生んだのです。
連中が哀れな最期を迎えるのは、ある意味必然であり、「自業自得」なのでしょうね。


自分の自由を守りたければ、他人の自由を尊重しなさい


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