古代エジプトから現代(コロナ問題など)につながる話
皆さんご存じの「ギザの三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)」。
あれほどの巨大建造物をこしらえた古代エジプト文明が、なぜ衰退してしまったのか。
先日テレビで河江先生が解説されていて、「なるほどなぁ」と納得しました。
私は、ピラミッドは明らかに広義の「山岳信仰」の一種であり、周囲に高い山のないナイル河沿岸の砂漠地帯で、農耕にとって最大の恵み「太陽」(古代エジプトでは太陽神を崇めていた)へ近づくためのシンボルだったと考えますが、それはまた別の話。
農耕民族である我々日本人が天照大神を信奉し、多くの山を「ご神体」として手を合わせてきたのと似ていますね。
さて、ピラミッドは、言うまでもなく「王の強大な権威」の象徴ですが、実際に建設をするのは、あくまで一般の労働者。王様が命じるだけで民が動くはずもなく、効率的に作業させるには、どうしても現場を仕切る「事務方」が必要になります。
その結果、事務方のトップに権力が集中し、ついには王様を凌駕するようになります。何しろ、物資調達から人事権まで、すべての段階を掌握しているのですから。
しかも、思わぬ不具合(災害など)が発生した場合、責任を問われるのは王様であり、事務方はお咎めなし。
いわゆる「官僚」の誕生です。
相対的に王家の威信は低下し、何の責任も負わない「官僚」が好き勝手に振る舞うようになっていきます。政治に口を出し、王をそそのかして自分に都合のいいルールを作り、せっせと私財を蓄える。
こうして一部の「特権階級」が富を独占するようになると、その国家はおしまい。あとは衰退の一途をたどるだけです。
また、いつの時代のどの「権力者(王様、貴族、官僚)」も自己顕示欲が強く、古代エジプトにしても古代ギリシアにしても古代ローマにしても、庶民に受ける豪華なインフラ設備の新築には、やたら熱心なもの。
例えば、人間の生活に「きれいな水」は欠かせないので、はるばる遠くから水道を引いてくれば、庶民は熱狂し、権力者の人気は急上昇! 現に、そうしたインフラには、たいてい(恩着せがましく)建設した権力者の名前が冠せられています(「○○の水道橋」とか)。
「俺の手柄だぞ、よく覚えておけよ」的な意味合いですね。
でも、すべてのインフラは徐々に経年劣化していき、いずれ必ず壊れます。使用を続けるには手を入れ続けなければなりません。権力者は、そのことをとても嫌がります。
だって、「古いものを直す」というのは地味なうえに、自分の名前をつけられないから。自分の手柄にならないから。
一般市民も、「既存の修理」には「新築」ほど熱狂しないものです。
こうして国家は「権力者の自己顕示欲」により衰退し、最後には歴史から消え去っていきます。
「歴史は繰り返す」で、今の日本は古代エジプト、古代ローマの末期にそっくりです。
国民に選ばれたわけではない「官僚」が実権を握り、決して責任を問われない(そういうシステムを自分たちで作り上げた)のをいいことに、我が物顔でやりたい放題。
政治家は政治家で、票集めのための人気取り政策しか頭になく、「劣化したインフラの補修・修繕」には予算を与えません。
これは自民党に限った話ではありません。公明党はワクチンの公費負担・無償化、共産党は全小中学校にエアコン設置と、市民受けすることばかりに夢中で、地下で日々腐っていく下水管にはまるで興味なし。
むろん、我々有権者も「無罪」とはいきません。いつだって「新しいご馳走」に飛びついてばかりで、冷蔵庫に残った食材を工夫して食べることをしないのですから。
それにつけても、「コロナ対策」の名目で無駄に使われた数百億~数兆円の予算があれば、老朽化したインフラの修繕は格段に進んだでしょうね。お金は市中を回り、経済情勢も好転したに違いありません。
何より国民は、無意味どころか害しかなかった感染対策の偽りの「安心」ではなく、本当の「安心・安全」を手に入れられたでしょう。
今、その金は「悪徳医療関係者」の金庫に山積みされ、日の目を見ることはありません。
埼玉県八潮市の悲劇を見て、そんなことを思いました。