宗教家は科学に口を出すべきではない
「盗人猛々しい」と言ったら言い過ぎでしょうか。
(記事抜粋・筆者加工)
「科学的根拠のない不正確な情報、迷信に振り回されることなく、厚生労働省で提供される情報や、医学情報などに基づき、かかりつけ医などに相談しながら、冷静に生活を」
曹洞宗の指導者はコロナ禍に苦しむ信徒にこう呼びかけたが、心の奥深くに潜む人々の不安を掬い取っているとは言い難い。日本の宗教指導者よ、いまの時代が直面する課題に新たな灯を指し示してほしい――世界の宗教にあまねく通じた著者の願いが行間に滲んでいるように思う。
科学的エビデンスに基づかない思い込みを妄信するのが「宗教」。
引用文中、太字にしたところが「教義」に当たります。
今回の「パンデミックごっこ」の場合、
・コロナは死の病
・マスク万能
を唱えることこそ、「宗教」以外の何物でもありません。
まず、「接種日不明」を「未接種」に計上するなど、厚労省がデータを改ざん・隠蔽していることは、もはや「周知の事実」です。
多くの科学者のデータ開示要求に対しても、何だかんだとゴネて拒む。
それのどこに「科学」がありますか。
たとえ自分に不利なことでも、データを並べて議論し「真実」にたどり着こうとするのが「科学」です。
厚労省に「正当性」があるなら、ワクチンの成分を堂々と公開すればいいだけの話。
ワクチンが原因かはさておき、接種が始まってからも感染はまるで収まらず、さまざまな「健康被害」が発生しているのは紛れもない事実です。
きちんと「医学情報」として、世界中で論文が報告されています。
なら、可能性の一つとしてワクチンを疑い、入念に調べる必要があるはずです。
その結果、もしワクチンが原因だと判明したら、即刻接種を中止し、被害者救済に取りかからなければなりません。
「厚労省が推奨しているから安全」なんて、科学とは真逆の物言いです。
つまるところ、肝腎の「医学情報」がブラックボックスだから、さまざまな憶測が生まれるのです。
マスクもそう。
「マスクに感染予防効果はなく、むしろ弊害のほうが大きい」という「確度の高い科学的知見」があるのに、耳も貸さずに「マスク大明神様のご加護は絶大」と言い続けるのは、まさしく「信仰」です。
本の著者は「宗教家」の方らしいですが、
科学とは何ぞや
をまるで理解していらっしゃらない。「科学の素養」が皆無なのでしょう。
書きぶりを見ると、「異教徒を攻撃するコロナ・マスク原理主義者」そのものです。反ワク・反マスクへの憎悪は、「宗派が違うから」という極めて狭量な動機としか思えません。
「人心不安に付け込んで信徒を獲得しようとしている」とまでは言いません。単に科学に無知な人間が「誤った権威信仰」に憑りつかれてしまったと好意的に解釈させていただきます(もともとあらゆる宗教には「権威主義」の側面がある)。
「科学と宗教は並立する」と考える人もいますが、私は違います。
「両者は決して併存できない」と考えます。なぜなら、科学は宗教的なものを否定することで成り立ちますし、宗教もまた科学的なものを拒否することで成立するからです。
・「証拠」を求めるのが科学
・「証拠」は神仏への冒瀆だと捉えるのが宗教
科学は「すべてを疑う」ことから始まります。
宗教は「すべてを信じる」ことから始まります。
相容れるはずがない。
科学が宗教を「現象」として分析することはできますが、宗教が科学を正しく理解することは、恐らく不可能です。
宗教に疑問を持つところから科学はスタートするからです。