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科学における「推定無罪」
刑法を少しでもかじったことのある方は
「推定無罪」
という言葉をご存じでしょう。
基本中の基本ですが、
合理的疑いなく「有罪」を立証できない場合、被告人を「無罪」とする
つまり、「犯人は絶対にこの人である。この人以外にはあり得ない」ことが確実に証明できない限り(少しでも疑いが残る場合)、「めっちゃ怪しいんだけどなぁ」だけでは罪に問えないということです。
このとき、被告人及び弁護側には、「やっていないことを証明する」必要も義務もありません。
「○○でない」ことを証明するのは極めて難しく、「悪魔の証明」と呼ばれます。「立証責任」は、あくまで検察側にのみ存在します。
もちろん、そのせいで真犯人が逃げおおせてしまうおそれもあるわけですが、無実の人間が逮捕・処罰される「冤罪」が多発するほうが「社会的デメリット」が、はるかに大きいと考えられているわけです。
この考え方は、刑法に限ったことではなく、科学の世界にも当てはまります。
ツイッター界隈では、いまだに
「コクランのレヴューは(ノーマスク派が喜ぶように)『マスクは無意味』とまでは言っていない。あくまで、『効果があるかどうかわからない』と言っているだけ」
と悪あがきを続ける輩がいるようです。
そやつのプロフィールに「医師」だの「科学者」だの「理系」だの書いてあるのを見ると、
科学の基本をまったく理解してないな
とあきれてしまいます。
高校、いや中学の「理科」から学び直す必要がありますね。
きっと、論文などでよく見かける
「AとBの有意差は認められない」
の表現も理解できないのでしょう。
これは統計学で用いられる独特の言い回しで、平たく言えば「AもBも、どっちも変わらない」という意味です(こうした婉曲的な物言いが一般人に「科学アレルギー」をもたらしているのは、科学界が大いに反省すべき点)。
「有意差」を「優位差」と間違えている人もいますが、「優劣の差」ではなく「意味の有る差」。「意味が有る」とは、「誤差を差し引いても相関性がある」ということです。
「推定無罪」の考え方を「マスク問題」に当てはめれば、
マスクに感染予防効果があることが「合理的疑いなく」証明されない限り、「効果はないもの」とみなさなければならない
ということになります。
これが「科学の基本」です。
「マスク有効」をとなえる連中は、これまでに紹介したバングラデシュ研究などを幾つか挙げて、マスクの効果は「合理的疑いなく」証明された、と言い張っていたわけですが、「医療統計の分野では世界最高レベル」のコクランは、そうした研究の一切を「完全否定」しました。
「研究の設計・手法がずさん(いい加減)なので、信用できない」と結論づけたのです。
これは、ものすごく重い意味を持っていて、「推定無罪」に基づけば、「有罪」であることに疑問符がついたわけですから、当然、「無罪=マスクには効果がない」と考えなければいけません。でないと、社会的デメリットの大きい「冤罪」を生んでしまいます。
したがって、曲がりなりにも「科学者」を標榜する者は、今後は
マスクには感染予防効果などない
という前提に立って、物事を判断しなければいけないことになります。
だからこそ、「きちんと科学を理解している」ノーマスク派の人々が、
コクランがマスクの効果を否定した
と述べているのです。
はい、これが「科学のお約束」。
それができないなら、プロフィールから「科学」「理系」といった単語をさっさと削除してください。
「本物の科学者」に対して無礼千万です。