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生の実感?

こんにちは、由田です。

以前、絶叫アトラクションの記事を書いたのですが、少し掘り下げ。
「死ぬかものスリル」というのは、「生の実感」というやつなのかもと思った。

よく「痛みから生を実感する」と言いますよね。感情の揺らぎもその類いかと思う。私も疲れたときや感情が湧き上がったあと、落ち着いてから思考すると、「人間だなぁ。」と感じることが多々ある。

初めて体験することはなんであろうが驚きがあるものだ。
痛みであれば「あれをまた味わうのは嫌だなぁ」と、拒絶反応や回避行動が表れたりする。
快楽であれば、初め以降は最初ほどの衝撃は味わえなくて寂しくなる感覚もある。(けど美味しいことに変わりはないので摂取する。)
痛みを快楽に変換するという話もあるが、それはどうしてもその痛みから逃れられないときに認識を変えるという、一種の回避行動なのではないだろうか。もしくは元からの性癖か。

経験が後にどちらに転ぶかはわからないが、最初でしか得られない感覚というのを、ここ最近の私は噛みしめられるようになってきた。
この感覚は今しか得られないのだと。


そう考えると、確かに「死ぬかも」を得られる場所は限られてくる。死ぬかもしれないけど死なないようにサポートが付くことで商売として成立している。
まぁ私は死にたくないのであまり経験したくはない・・・。

これも回数を重ねていると死への恐怖が和らぐのだろうか?と思うと、そういうアトラクションが好きな人だろうと実際死ぬとなると恐怖するものではないだろうか。しない人はサイコパスかと。
私は決して自分からは身を投げ打てないが、いざどうしても逃れられない場に直面したときに諦められるか、と考えたこともある。
死ぬことを考えて怖すぎて泣いたこともある。

戦場育ちだと、平和な世界は刺激不足に感じるのだろうか。
生死を争うことが一番の快楽となるか、他で満足できるため命をかける必要はないか。
この感覚の違いというのが「人それぞれ」というところなのだろう。
やはり知れば知るほど面白いと感じてくる。
私はこういう楽しみを見出せるから死にたくないのかもしれないな。



つぶやきで書こうと思ったけど入りきらなかったのでテキストで挙げました。今後もたまにどちらか使って補足を挙げることあるかもです。


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