インスタやめたら2025年始まった。
3日前くらいにふと思い立ってInstagramをやめてみました。
正確にはアンインストールしたわけではなく、ホーム画面からアイコンを消して、ストーリーや投稿を載せることと人のストーリーズを見ることをやめました。
やめようと思ったきっかけは、SNSに囚われていたから。
インスタに結構投稿したり、ストーリーを載せるタイプなのですが、気づいたら人に自分の日常を見せることを前提に日々の予定を立てるようになっていた。
別にそんなに変なことではないと思ってます。
インスタに日々の友達との記録や楽しい日常を載せて、幾ばくかの自己顕示欲求を満たす。現代にはありきたりで些細な承認要求の形。
でも気づいたら友達と会う日々をスタンプラリーみたいに集めて、インスタに投稿として貯めていって、自分という人間を表すポートフォリオみたいにアカウントを彩っていた。
もちろん人と会う時間自体はすごく大切にしてたし、その瞬間を楽しんでました。だから別にそれをインスタに載せること自体に問題があるとは思ってないです。周りからしたら全く違和感を抱くこともないくらい自分自身だけが気にしていること。ただ、どうしてもインスタに載る写真でしか自分を表現できないみたいで、ソシャゲでモンスターを集めていくみたいに思い出を積み重ねていく自分に違和感を感じてしまった。
そんなこんなでインスタを自分が開かないような仕組みを作りました。まぁこれでも開いてしまうなら中毒だからそれはそれでしょうがないかと思ってましたが、案外開かず、いつもストーリーを載せるタイミングで載せず簡単にインスタ離れができました。感覚的にこれは継続していきそうです。
インスタから離れ、ストーリーを載せるための写真を撮ることもなくなり、ストーリーのいいねが誰から来てるのか確認する謎の行動もなくなり、友達が何してるかも知ることもなくなった結果、自分に矢印が向き始めました。
ソシャゲで簡単なクエストをクリアして得るものに似ている安易なカタルシスをInstagramから摂取することがなくなった代わりに、もっと長期的に自分がどうやったら満ちるか楽しくなるかワクワクするか考えるれるようになりました。
それと同時に何でもかんでも誘いに乗ることもなくなり、ほんとにその瞬間会いたい人とだけ会う予定を立てるようにもなりました。
些細な変化ですが、より自分のための時間が増えました。気持ちいいです。
2025年の目標にも書いた「他人に期待せずに自分と向き合う」の足がかりになっている気がします。
インスタやめた結果、
2025年が遅ればせながら始まりました。
今年もよろしくお願いいたします。