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基本的にどっちかに偏る
僕は提出物を期限に余裕を持って提出することができません。なんなら期限に間に合わないこともあります。大学で言えば、それで単位を落としたことも多々あります。
でもそのことに落ち込んだり悩んだりすることはありません。自分はそういう人間なんだと思っています。提出物を出せないという結果、損することはあるので、改善するためにあれやこれやを試すことはあります。
ただ「提出物を出せない自分」に対して、自己嫌悪したり自分を責めたりすることはありません。
またやっちまったと切り替えます。
この部分において自分に特に期待はしてません。
しかし昔からずっとそうだったわけではありません。だらしない自分に対して自己嫌悪に陥ってた時期もあります。自分に期待して次こそはやれると思っては、また同じ過ちを繰り返す自分が許せなかったことは高校生くらいまであります。
自己嫌悪しなくなった理由があります。
そういうものだからです。
自分にできないことがあるのは当たり前で、その代わり自分にできることがあります。人間の能力はきれいな五角形をしていません。歪な形をしています。
だからできないことがあるのはしょうがない。
しょうがないというか悪いことではない。
改善する努力をしてもいいし、苦手を克服しようとしてもいいが、できないという自分の気質自体を責めてもしょうがない。
前提、人には得意なことと苦手なことがある。
得意なことが分かりやすくて今の社会の軸で評価されやすい人もいます。
その反対に得意なことが外からまたは自分から分かりにくくて、評価されづらい人もいます。
ただ、何でも完璧にこなせそうなあの人にも苦手なことがあります。その苦手なことは案外あなたが得意なことかもしれない。
どうしてもどちらかに偏ってしまう。
自信があって意志が強い人は、周りの人の気持ちを察することが苦手なことが多いだろうし、
人の気持ちに敏感な優しい人は、自分の主張を押し通すことが苦手なことが多いだろう。
完璧主義でなんでも頑張れる人は、自分に厳しくて自分を追い詰めてしまうこともあるだろし、
思い病まない楽観的な人は、興味がないことをやり切ることができないこともあるだろう。
生まれながらにどうしても偏ってしまう。
だからどっちが偉いわけでもないし、生まれ持った自分の気質で生きるしかない。
配られたカードで勝負するしかないんだと思う。
配牌が悪いことを嘆く暇があったら、牌効率を考える方に頭を回すほうがずっと良い。