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いざ、平氏最後の地へ

安徳天皇の最後と母徳子の生涯に涙する。
そんな記事を書いてから、居ても立っても居られず
壇之浦に行ってみた。
(壇ノ浦、壇之浦どっち?)

見た目は、おばさんがウロチョロして
アイス食べて写真撮ってるだけのことなのだが
実は複雑で忙殺された時間を過ごしていたという
事実をここに記したいと思う。

下関に降り立ったその足でまず訪れたのは
8歳で入水した安徳天皇が祀られている赤間神宮。
はぁ、ここに祀られていたのかと、
涙を溜めてみる景色。見下ろすその静かな海。

どうか安らかにお眠りください。
お母さんがその後過ごした地は安らかなところでしたよ。

息子の地が先の方が良かったかな
母の地が先で良かったのかなと考えてしまう。
きっと『母上がご無事で何よりでした。』と
仰るであろうそのお姿を想像してその地を後にする。
(誠に勝手な妄想だけど、本人は本気なのである。)

次に訪れたのは歩いて15分ほどの古戦場跡。
義経、知盛像がその戦いの荒々しさを物語る。
その後の義経も悲しき道をたどるのかと思うと
過去があっての今なのだと
関門橋を仰ぎ見ては深いため息が出る。

思ったよりも広い海に圧倒され
その美しさとおそろしさに何とも言えない心情が続く。

でも向かいの店のソフトクリームと天ぷらをむしゃむしゃ
食べちゃったのは、私が紛れもなく現代人だからである。
とっても仕方の無いことなのである。

この地は幕末の下関戦争や
明治の下関条約の舞台でもあった為
今も昔も要の地であると言うのを
往来する運搬船や橋を渡るトラックを眺めながら
痛感するのであった。

古代、幕末、近代、現代と慌ただしくタイムトラベルする。
それぞれの時代の主要人物、
名前も知らない人物たちの生き様に思いを馳せる。

それはそれは忙しい旅なのであった。







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