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想像していなかった未来

警備員時代:命がけの12年間

12年間勤めた警備の仕事は、今思えば人生の基礎を築く期間だったかもしれません。

毎晩、真夜中に一人で施設を巡回し、異常がないかを確認。
時にはセンサーが反応した施設に急行し、不審者と鉢合わせすることもありました。

その都度緊張がピークに達し、命がけの業務であることを実感しました。

また、業務の中には現金輸送もありました。


業務当日は必ず
「今日は現金輸送に行ってきます」
と妻に声をかけ、しっかりと目を見てから出勤していました。


それは、
「もし僕の身に何かあったら息子を頼む」
という、無言の遺書のようなものでした。

妻は毎回そのアイコンタクトに対して、心配そうでどこか寂しいような、こわばった笑顔で応えてくれていました。

日々、責任の重さと危険を感じながらも、これが「働く」ということだと思っていたのです。


そんなある日、会社の上層部から

「うちのクライアントのビジネス専門学校で、外部講師として講義をして来い」

という命令が・・・

「は?!」

選んで頂いたのは光栄なんですが・・・
僕、ただの警備員ですけど・・・

いかにも賢そうな担当者さんとの打ち合わせで、
「この内容に沿った講義を1時間お願いします」
と書類を頂きました。

「テーマ:職業人として」

いや、知らんし・・・


数日後、無い頭をフル回転させ、一か八かで講義を行う事に・・・


そして、僕が講義したテーマは

「目標なんて無理に持たなくていい」

というものでした。
(講義の内容は、いつかまたどこかで・・・)


このビジネス専門学校は、ずっと主婦で働いたことのない方や、雇用保険も切れ、とりあえずパソコンでも習ってみようか・・・といったような方々が多いとのこと。

年齢も20代~60代と幅広い年齢層の方々が同じ教室にいる状態。

「これから就職に向けて頑張るぞー!!」

的な気迫は一切感じられません。

みんな、どことなくうつろな目をしていて、自分の将来に夢や希望を持っている感じが無かったのです。

そんな方々に、

「きちんと目標を設定しましょう」
「目標に向かって行動計画を立てましょう」

などという、よくあるビジネス講義を行っても刺さるはずがないと考えました。

「とくに目標なんか、無理に持たなくてもいい」
「とにかく、いま自分の目の前にあるものを一所懸命やってみる」
「それを繰り返しているうちに、”これ好きかも”っていうことに出会える」

というような講義を面白おかしく実体験を交えながら行いました。


これが意外とみんなに刺さり、講義後に回収したアンケートには

「今日の講義を聞いて、気持ちが楽になりました。」

「これといってやりたいことも無く悩んでたけど、今日の講義を聞いて、とりあえず今やれることを頑張ろうと思いました」

「他の講師とは違った!目標なんて無くても大丈夫なんだと思えました!今はパソコンを覚えたいです。」

などなど、アンケートを読むと毎回帰社する車の中では号泣していました
(運転危ない 笑)


その他、警備員の国家資格の講師など、いろいろな社外の業務も任せて頂き、毎日充実してはいましたが・・・

自分の人生はこのまま「お客様の生命・身体・財産を守る」ということに命を懸け、日々危険と隣り合わせで終わるのだろうかと疑問を抱くようになっていきました。



居酒屋オーナー時代:無謀な挑戦の7年間

40歳を迎え、思い切って脱サラを決意!
(前厄でした・・・)

もう命の危機を感じなくてもいい・・・
とりあえず今、なにが出来るだろう・・・

「よし!居酒屋で働こう!」

何の根拠もなく飲食業界へ行こうと決めたのですが・・・


こんな初老を雇ってくれるほど、世間は寛容ではありませんでした。
ああ、世知辛い・・・

「それなら自分で店を出すしかない」


と、おバカなポジティブぶりを発揮し、なんとか資金をかき集めてビルの最上階にひっそりと居酒屋をオープン!

看板も出さず、
「あえて知る人ぞ知る隠れ家的な営業スタイル」
にしました。

あまりにも無謀なやり方・・・
すべて独学・・・
でもなんかカッコいい!

オープン当初は閑古鳥が鳴きまくる。

当たり前です。

隠れてるんですから・・・

ですが、しっとりとジャズが流れる和食屋で上質な酒と肴を味わえる隠れ家として、徐々に口コミで評判が広がり、企業の社長さん、会長さん、お医者さん、政治家さんなど、料金関係なくメニューも見ず、「おいしい物ちょうだい」的なリピーターがつくように。


この7年間、料理の腕を磨き、接客に励み、お客様の会話から多くを学びました。

そして、この時期の出会いが僕の「次の一歩」を生むきっかけとなったのです。



タイ留学で資格取得:タイ古式マッサージセラピストになる

ある日、常連のお客様から「昔タイで働いてたんですよ」という話を聞きました。

今まで意識もしていなかった国
「タイ」・・・
僕はなぜか強く興味を持ち始めました。

もともとマッサージに関心があり、特に疲れを癒すためによく通っていたこともありました。

ネットでいろいろ調べているうちに、いつしか

「タイ古式マッサージをやってみたい」

と思うように・・・

ある時、思い切って居酒屋を2週間ほど休業し、ネットで評判の良かった、タイのチェンマイにある「CLSスパスクール」にマッサージ留学することにしました。

初めて訪れた国「タイ」

現地で学んだタイ古式マッサージの奥深さと、タイのゆったりとした生活や文化に触れ、ますますその魅力に引き込まれていきました。

そして帰国後は、居酒屋と並行して新たな道を歩むことを決意したのです。

そう、タイ古式マッサージのセラピストとして・・・



タイ古式マッサージの認知拡大と講師資格取得への挑戦

居酒屋が休みの日に、出張や自宅でタイ古式マッサージを施術し始めましたが、田舎ではまだ認知度が低く、施術に対する理解が広がらず苦戦しました。

「かわいいおねーちゃんいる?」
(うちは風俗店じゃない!)

「整体行くから特に必要ない」
(タイ古式マッサージもタイ伝統医学の整体術です!)

さらに、雇ったスタッフが手技を覚えた後すぐに辞めてしまうという「手技泥棒」が続出。

自分の技術をどう活かすべきか悩みました。


そんな中、一緒に居酒屋を営んでいた妻が過労で倒れてしまいました・・・


7年間、苦労掛けてホントにごめんよ・・・

夫婦で頑張って来た、二人の居酒屋です。

どちらが欠けても意味がない・・・


そこで思い切って居酒屋を廃業し、再びタイへ留学し、タイ教育省公認の講師資格を取得することに。

これからは、タイ古式マッサージ一本でいこう!!


向かった先は、チェンマイの「オン・タイマッサージスクール」

これによって、ただ施術をするだけでなく、地元の方々にタイ古式マッサージの素晴らしさを知ってもらいながら、生徒を募集して技術を広め、同時に収益を生む道が拓けたのです。



帰国後:タイマッサージスクールの開校とHSPとの向き合い

帰国後、自分のスクールを開校し、タイ古式マッサージを広める活動を開始しました。


僕は、最近ではよく耳にするようになった”繊細さん”と言われるHSP(Highly Sensitive Person)です。

HSPは、視覚や聴覚などの感覚感受性が高く敏感な気質を生まれつき持った人という意味で、病気ではありません。

しかし、情報処理が深く、感情や環境変化に強く影響を受ける特性があるため、周囲の反応や評価に敏感で、”生きづらい”と感じることも多々ありました。

しかし、その秀でた感受性を生かし、お客様や受講生一人ひとりの状態や個性に合わせた施術・教育を心掛けています。

2020年、オープンしてすぐにコロナが流行・・・
準備していたチラシも配ることが出来ず、自主的に休業。

まだなにも始まってないのに・・・

目の前が真っ暗になりました。


それでもなんとか試行錯誤を繰り返し、2025年2月10日、おかげさまで5周年を迎えられそうです。


今もなお、未完成な自分を感じますが、こうして

「想像していなかった未来」

を歩んでいることに、かつての自分が驚き、また誇りに思っているのではないかと思います。


導かれるまま、歩んできた道のりのすべてが自分を成長させ、今の自分を作り上げてくれたことは間違いありません。


人生、何事も無駄なことは一つもない

「失敗」とは、そう思った人にだけに起こるもの

すべては幸せに生きるために必要な「過程」なのだろう・・・

目の前のことを、本気でやり切ったなら

寄り道や回り道をしてもいい

そして

最期の日に笑って逝ければいい・・・


最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!

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