いつから友情は「打算」に変わるのか-友情という名の収支決算-
スマホの割り勘アプリを開く。「貸し」「借り」の一覧が、まるで人間関係の成績表みたいに並んでる。500円の貸しがある奴とは、まだ連絡を取る価値がある。3000円の借りがある奴とは、しばらく会うのを避けたくなる。なんだろう、この打算的な感覚。
思い出した。小学生の頃、友達とジュース一本分のお金を分け合った時のこと。「いいよ、今度でいいから」って、あんなに気前よく言えた。今じゃPayPayの請求通知が来るまで、落ち着かない。成長って、こういうことなのかな。
「今度、飲み行こうよ」
このセリフ、口座残高みたいなものだな。
相手の価値と、自分の予定と、得られる見返りを計算して。
まるで、株の値動きを読むみたいに、人付き合いを計算している。
面白いよね。昔は友達の家に泊まって、カップラーメン一個で喜んで、それだけで心が満たされた。今は「この付き合いに、どんなリターンがあるか」って考えちゃう。大人になるって、心の電卓を手放せなくなることなのかな。
コンビニのレジで、後ろの客が財布を忘れたって。
昔なら「いいっす、立て替えます」って言えたのに。
今は「迷惑かけんな」って思っちゃう。
この変化を、誰が教えたんだろう。
レシートの金額を見ながら、
人間関係の収支決算をする。
このコーヒー代は、
誰かの心を買うための投資なのかな。
見返りの法則
「また今度ね」って言いながら、心の中で損得計算をしている自分がいる。この間、相手に500円貸してる。でもそいつ、今度の昇進に関係あるかも。なんだろう、この計算機叩くような人付き合い。
LINEの返信だって、戦略的な判断になってる。既読スルーは一種の株価操作。返すタイミングは金利の設定。返信の長さは投資金額。このビジネスライクな友情営業。いつから、人間関係も財テクみたいになっちゃったんだろう。
面白いよね。飲み会の場所選びだって、投資の計算書みたい。高いとこ行って、相手に「貸し」を作るか。安いとこにして、気軽に付き合うか。この計算式に基づいて、関係の株価が変動する。まるで、東京証券取引所みたいな付き合い方。
「今度、遊びに来てよ」
でも、その「今度」には期限がない。
約束手形の期限を、永遠に延長するような。
これって、詐欺まがいの友情なんじゃないか。
昔の同級生からメッセージが来た。
「久しぶり!元気?」
この「元気?」の市場価値を、
すぐに査定しようとする習性。
カフェで隣の席の会話が聞こえる。
「私、絶対お返しするから!」
その言葉の利息は、
どれくらいなんだろう。
こうして私たちは、
友情という商品を売り買いしている。
でも、その商品の本当の価値を、
誰も知らないまま。
取引条件
誰と飲みに行くか、スケジュール帳を見ながら考える。Aは昇進したばかり。Bは転職に成功。Cは最近、会社で企画通った。人脈という名の投資信託。誰に時間を投資するか、リターンを計算する。大人の友情って、なんだかナスダック市場みたい。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
この前置きを聞いた瞬間、心の財布の中身を確認する。
相手にどれだけの貸しがあるか、
これまでの取引履歴を必死で思い出す。
この警戒心、いつから身についたんだろう。
面白いよね。昔は友達の家のポテチ一袋で満足できた。
今は、その一袋にだって見返りを求める。
「奢ったから、今度は手伝ってよ」
「助けたから、次は頼むね」
この因果関係の帳簿付け。
「お互い様だよ」って言葉も、実は計算済み。
今回の貸しは、いつか借りになる。
この貸し借りの複式簿記が、
友情という商売の基本なのかな。
居酒屋のレジで、誰が払うか駆け引きが始まる。
「今日は私が」は、実は「次はあなたが」の意味。
この暗黙の契約書に、
サインしない奴は、信用取引停止。
昨日の飲み会。誰かが奢ってくれた。
でも、その優しさの利息が怖くて、
すぐにスマホでPayPayを送ろうとする。
これって、友情の債務整理なのかな。
電卓叩く指先が、
人間関係の温度を下げていく。
でも、この打算がないと、
大人の友情は成り立たないのかも。
取引成立の瞬間
終電間際のコンビニ。おにぎりを見ながら、さっきの飲み会の計算をしてる。3500円の支払い。これは相手への投資か、それとも無駄な出費か。人付き合いの損益計算も、こうしてコンビニの棚の前で。
思い出した。小学生の頃、友達とカードを交換した時のこと。レアカードと普通のカード、三枚の等価交換。今考えると、あれも取引だった。でも、あの頃は「得した」「損した」なんて考えなかった。ただ、交換できることが嬉しかった。
面白いよね。社会人になって、名刺交換する度に思う。これも一種のカード交換。でも、今度は価値を判断して、連絡するかどうか決める。あの純粋な交換の喜びは、どこかに置き忘れてきた。
レジの外に出て、夜空を見上げる。
月と星の関係には、
きっと利害関係なんてないんだろうな。
光を分け合うだけの、あの頃の友情みたいに。
明日も誰かと、新しい取引が始まる。
利息の付かない約束や、
期限のない人付き合いを装いながら。
でも、心のどこかで計算機は動いてる。
そうか、友情に純度100%なんてないのかも。
ちょっとの打算と、
ちょっとの優しさの配合で、
大人は生きていくんだ。
ポケットの中の千円札。
誰かに貸した時の、あの頃の気持ちを
思い出せたらいいのに。
でも、もう電卓は手放せない。
これも、大人の性(さが)なんだろう。