幸せの見つけ方
「怪しい少年少女博物館行きたくない?」
「いいよ、行こう」
姉の2つ返事により、決行された姉妹旅行
私と姉は頻繁に遊ぶ
休みの日をどう過ごすか考えた時、自然と姉と会うことが多い
姉はいつも楽しそうだ
趣味は枯葉を踏むことで、「クシュ!」という音がたまらないんだとか
ここが私の行きたかった場所
名前のとおり怪しい
そもそも入っていい場所なのかどうかもわからない
廃墟のような入口を過ぎると、受付がある
きちんと営業していて、大人は1000円で中を自由に見て回れる(写真撮影は自由)
「奥にお化け屋敷もあります、ぜひ」とおすすめされたが、私たちは暗闇が苦手なので遠慮した
レトロな展示物たちが私たちを迎え、異様だけれども懐かしい、変な気分を味わった
(人形が苦手な人は行かない方がいい)
コンセプトは、わからない
何を表現したいのか、よくわからない
「長い時間いると、精神崩壊する」と言われている場所のようだ
その“よくわからない”のが不気味でおもしろい
私はこういう雰囲気の場所がたまらなく好きだ
旅行中の私たちは
・落ちてる枯葉を踏んだら良い音が出た
・たまたま入ったご飯屋さんが美味しかった
・旅行中ずっと晴れていた
・宿のシャンプーがいい匂いだった
・坂だらけの道は、いい運動になった
ずっと楽しんでいた
姉も終始笑っていた
姉は、良いことも悪いことも、全部良いことに変えてしまう
例え雨に降られたとしても、「楽しいからいっか」で済ませてしまう
姉といるとネガティブな感情が一切なくなるから、一緒にいるのかもしれない
予定になかったまぼろし博覧会にも行った
さっきの博物館の姉妹店だ
こちらは大人1200円で入ることができる
不気味だけれど惹かれてしまう、そんな空間
悪夢の中にいるような気分を味わえた
話は変わるが、「自分はずっと夢を見ているのではないか」と思うことがある
本体は現実で眠っていて、今起こっている出来事は頭の中でのまぼろしにすぎない
なんて思うことがある
夢から覚める時、「あぁ、夢なら好き放題やっておけばよかった」と毎回思うのだが、なぜか出来ない
夢の中の自分も、自分だからだ
現実の自分と同じ思考をしているのが当たり前
だったら自分の気持ちに従って生きていけばいい
ここが現実か夢かなんてわからない
人生楽しんだもん勝ちなのでは?
…と、かなりこじ付けになってしまったが、やりたいことには挑戦して、好きな人には会いに行けばいいと最近思うようになった
残りの人生も楽しむぞ
〜さいごに〜
【夢か、うつつか、まぼろしか】
まぼろし博覧会、興味がある方はぜひ行ってみてほしい
運が良ければ館長のセーラーちゃんに会える
(今回は会えなかった)
現実とまぼろしが入り混じった不思議な空間
あなたも体験してみては