乙女座が見る光と影①
こんにちは。
今日は乙女座のお話をしたいと思います。
私はアセンダント乙女座なのですが、自分のアセンダントの中でどうしても相反する部分が昔からあるのを感じていました。
このアセンダントの葛藤は、自分のホロスコープチャートの中でも最も激しいところになり、自分自身でも自己矛盾を感じたり、疑問を持ち続けているものなのですが、最近、占術家松村潔氏のこの動画を拝見して、その葛藤が何なのかわかってきた気がするのでシェアします。
動画では乙女座は人格形成時に小さい自我を作り、その時に「光」と「影」を切り分けるということの説明がありますが、私の父親は太陽が同じ乙女座で、この動画を見た時に、松村潔氏がご指摘するところの「正」、つまり「光」の部分しか見ないという父の姿が明確に思い浮かんだのですね。
しかも父の太陽と自分のアセンダントの度数は全く同じなので、そんな父を小さい時から見てきた反動として私には、自分のアセンダントの乙女座っぽい一部を叩き壊したいという衝動に駆られる時がしばしばありました。
もちろんアセンダントは重要で、いろんな場面で助けられているので、全てではありませんが。
そしてイラつくのは明らかに自分にもその要素がある(鏡の様に父に自分の同じ側面を投影してしまう)からなんだと思います。
この動画では、乙女座の小さな自我を作る時に生じる「光と影」の説明がありますが、自分のアセンダントにも、対極のものをはっきり分割して考えるところがあります。
「光と影」というと抽象的ですが、その相反するものの一部を説明すると、乙女座の「分割する」「切り捨てる」というところと、その裏側の魚座の「融合する」「すくいとる」という部分に置き換えることは出来るかもしれません。
乙女座サインで特徴的なことで、挙げられる事として、生物の「細胞」に、しばしば例えられることがあると思いますが、その細かい細胞の一点に乙女サインは焦点を当てているということがあると思います。
具体的にいうと乙女サインは、生命を維持するための、その小さな一つの細胞を繊細に管理し、その細胞にとって不純なもの、不適合なものを排除して、生命の全体性の機能を果たすという目的を持っている様に思います。
なぜなら、一つの健全な細胞組織が、無限で膨大な肉体のあらゆる可能性を維持することに繋がるということで、乙女サインのこだわっている部分は「一つの完全な細胞」というところかもしれません。
この性質は、乙女座が個人から、社会に対して向き合う時にも同様なものかもしれません。
一方、魚座というものは、境界を溶かすという働きがあるので、乙女座の管理するところの細胞膜をも溶かして、結果的に排除された不純物や不適合物をも融合させて、一つの不完全な未知のものと一体化するという様な目的を持っているとも思えます。
魚座に至っては、完全性というところよりはそれを超えて、また次のサイクルへ移っていくための原点回帰の意味合いが近いかもしれません。
乙女座の目指す全体性は、この土星が護る地上で、生物が体という物質を維持しながら命を営んでいくのに必要なエネルギーで、魚座の目指す全体性は、地上を離れ、肉体を超えた霊性が宇宙と一体化するのに必要なエネルギーということで、向いている方向は同じなのかもしれません。
太陽から見たら同じ方向ですしね。
相反している様でも乙女座と魚座は、どちらも表裏一体だと最近は感じる様になり、「光」も「影」も視点で変わるものなんだと思う様になりました。
相反するものというと、「光と影」「善悪」「強弱」「男女」などあり、乙女座は二元的なところを拡大してその輪郭をくっきり切り取ろうとしますが、どれも、両極のことを意味している様で一つの「ことわり」だったりするかもしれません。
頭ではそう考えますが、自分はアセンダント乙女なので、自分の視界に入って来る事象を見る時はどうしても乙女座視点になると思いますし、実際は無意識に「分割」「切り分け」をやっているかもしれません。
しかし、私のアセンダントに冥王星と天王星がコンジャンクションで、乙女座のサインに対して、激しく壊しながら変革したいというエネルギーがあるからなのか、乙女座の一方的な排他的なエネルギーに対しては、あからさまに正反対の方向へ反発するところがあります。
もしかすると「切り捨てる」という部分に対して、反対側の7ハウス魚座のキロンが反応しているからなのかもしれません。
冥王星とコンジャンクションの天王星は魚座キロンとは180度のオポジションです。
もしくは自分のアセンダントは乙女座15度ですが、15度のサビアンシンボル「装飾されたハンカチーフ」に対して、1度足して目指すところの度数が「オラウータン」というサビアンシンボルになり、その意味を考えると正反対の魚座サインのエネルギーが入ってくるということがあるからなのかもしれません。
各12サインの度数の意味合いとしては、どのサインも16度というのは、反対側のサインのエネルギーが入り込んでくる鏡の度数になるといわれます。
9月7日生まれの私の父は、太陽乙女座15度で、上記の「装飾されたハンカチーフ」のサビアンシンボルに近い価値観を持っている気がします。
例を挙げると実際に私の父は
①先祖・家系(教師、教育者が多い)を重要視している。
②家族が常に一体でいること、親子であるとか、兄弟であるとか血縁に対しての家族的永続性を願っている。
③一般的に言われている世の中の「正論」や「常識」を常に軸に行動して、それ意外の常軌を逸しているものに対しての耐性はなく、排除(またはフタをする)してきているところがある。
④「清廉潔白」「身ぎれい」と言う言葉が好き。
それに対しての次の度数のサビアンシンボルオラウータンは
つまり乙女座15度では、もともとからある家系や、世間で言われるところの常識を重要視して、受動的に生きることが自己を守ることだとして、それ意外を排除してきたとすると、16度で、排除して枠から外れた自我の影の行き過ぎや限界を知ることになり、反対側の魚座で影を認めること、影を取り込むことで、新しい生命力や上昇力として無意識に再生するということになるのかもしれません。
少なくとも私もこの度数に該当するわけですから、これまでにその様な出来事は経験したと思いますし忘れることはありません。
私の場合は小さな自我の外側に吐き出してきた影はアセンダント上にある冥王星の強制力、天王星の変革のための破壊力、つまり自分の影の部分を叩き壊したくなる様な衝動で認識してきた気がします。
そして私の父は、ずっと「装飾されたレースのハンカチ」の「光」の部分だけを見つめて、それを持ち続けてきた人ですが、そのことが今、家族に大きな影を落とすことになる出来事がありました。
長くなりましたので、その内容は次に続きます。
ここまでお読みくださり、ありがとうございした。
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