塩田千春展「つながる私」
大阪に新しくできた中之島美術館で塩田さんの個展がある
というので、暑さも収まったあたりで大阪まで出かける。
朝、7時過ぎの新横浜発のぞみに乗り、大阪・福島駅から歩いて10分ほど。
美術館エントランス前にはゆったりとした空地があり、
オレンジ色の猫の大型の立体作品が出迎えてくれる。
平日の、しかも開館前にもかかわらず、人が並び始めている。
SNS映えするインスタレーションなので、現代美術にしては人気がある。
とはいえ、それだけではない本質的なものを感じさせる何かがあるのが
この作家の魅力なのだが。
展示室入り口の、赤い毛糸と真っ赤なドレスの作品から
すでにパシャパシャと写真を撮る人が多数。
この作家の作品の場合、
自分が被写体になって作品を背景に写真を撮る人が多。
以前、私が所属していたところで塩田さんの個展をやったときは
その会場で現代音楽のアンサンブルのコンサートを実施した。
作品を気に入ったメンバーが、会場の作品
---焼けたピアノと、同じように焼け焦げた観客用の椅子を
天井から黒い毛糸で蜘蛛の巣のように編みながらつないだ作品---
の前で写真を撮り、その写真はCDのジャケット写真になったと聞いた。
ことほど、空間自体をジャックする印象的な作品が多い作家なのだ・・。
作品とともに自分が写真に収まること、
それは美術本来の鑑賞の仕方とはかなり違っていて
まるで観光名所のような扱いではある。
あるいは、綺麗な桜並木や紅葉のような。
とはいえ、美術館も集客施設として入場者数は大いに気にする時代。
SNSで拡散されるのはありがたいことではあるのだろう。
最初の展示室の作品は、今まで見たことがない白い毛糸の作品で
まるで繭のような、全身をつつまれている感じがする。
なんだか、ほっと安心できる。
会場の半分には水のはいった黒い水盤が置かれている。
時折、小さく水面が動くので、最初は下から空気を出しているのかと思ったが、よく見ると天井に張り巡らされた糸の合間に、白いパイプがあり
そこからわずかに水が落ちているようだ。
塩田さんにしてはひそやかな、としばらく眺める。
作品の静かな雰囲気に似合っており、とても優しげだ。
次の展示室では大画面で長いインタビュー映像が流れている。
塩田さんが、画家を志した子供の頃から
節目節目での作品を作った当時の出来事や感情について語っているのだが
これが面白かった。
個人的な出来事から作品を作る作家ではあるが
それがいつも、人間の根源的ななにかを想起させる骨太の作品になる。
それが魅力なのだが、その制作の過程がなんとなく
わかるような気がする。
バイオグラフィとしても面白く拝見した。
会場の最後の展示室には
新聞連載の挿絵の展示が並ぶ。
(この新聞はとっているのだが、絵に糸が使われていたのは原画を見て初めて気づいた。また連載中の原画は会期中でも増えているらしい。進行中の作品ということか)
オペラなどでの舞台美術の作品がわかる映像もあり、
出口付近に今回のテーマとなっている「つながり」を感じさせる
作品に至る。
赤い毛糸を垂らした空間に、まるで白い蝶のように紙が留め付けられ
その紙が円環のように空間に浮かんでいる。
視覚的にも大変美しい作品だが、近づいてみると
その紙には一般の人から募った、その人の大切なものや人とのつながりを
描いた(書いた)エピソードになっていることがわかる。
若いころからの作品を知る身からすると
ちょっと綺麗すぎるかな、とも思うのだが
同時に、ふっと優しい暖かい気持ちに包まれるように感じる。
この作家は、人の記憶や物語のしみこんだ古いもの
(古い鍵や、廃屋から外された古い窓、古靴など)をよく作品に使う。
あるいは泥の染みついた巨大なドレスに、水が降り注ぐ作品や
(ドレスは皮膚の暗喩らしい。皮膚に泥を塗ることで違和感が消え安心する
というようなことをインタビューで語っている)
焼け焦げたピアノや椅子に天井から蜘蛛の巣のように黒い毛糸が絡まる作品
白いベットが多数並ぶ部屋を、黒い毛糸が蜘蛛の巣のように覆う作品
など、人がいない不在を強く感じさせる、美しいのだが、ざわざわする
作品が多い。
古い物、あるいは焼け焦げたピアノなどは
物それ自体にしみこんだ歳月やエピソード、
あるいは一筋縄ではいかない人生の重さ、みたいなものが感じられて
作品にある種の深さ、そして凄みを与えていたように思うが
今回はそこが少し軽めなのかな、と。
特にそれがいい悪いでは、もちろんないのだけれど。
2度の癌を乗り越え、肉親の死にも直面して
それで、作品が軽みをおびたり温かみや優しさをおびたりする。
なんだか面白いなあ、と。
わざわざ大阪まで見に行ってよかった。
これからも折に触れて考えてみたいと思わせる展覧会だった。