辻村深月『傲慢と善良』

この本が映画化され、もうじき公開らしいというのは
読み終わったあとに作品をネットで調べていて知った。

作中で触れられている通り
この小説はジェイン・オースチンの『高邁と偏見』を
下敷きにしていると思われる。
18世紀末から19世紀初めのイギリスの田舎、
そこでの女性の結婚事情を背景に、身分の違う男女の
偏見に基づくすれ違いの恋愛模様を描いた作品ということらしく。


本作でも、東京またはその近郊に生まれ育った人からすると
今の時代にまだそんなことが、という地方での若い女性の息苦しさや
マッチングアプリで簡単に婚活がなされる時代にも
結婚したい男女の、切実でしんどいトライアルが
ミステリ風の「失踪事件」の背景になっている。
(身分の格差のない日本では、都会と地方、あるいはモテと非モテ、
 スクールカースト的なコミュニケーション能力にたけているか否か
 といった格差も実は裏テーマの気もする)


婚約者の失踪事件の謎解きをする男性主人公によって
こういった背景が巧妙にあばかれていき、かつ、
育った場所や、いわゆるモテと非モテという恋愛経験値の違いによる
無意識の傲慢さや、「傲慢さよりたちの悪い善良さ」といったものも
これでもかというほど描かれるのだが。


オースティンの作品はハッピーエンドで終わるが
こちらはどうなるのか最後までわからない。
ただ、男女ともに、その過程で無自覚だった自分のことがさらけだされる。
ああ、嫌だよねえ、こういうの。
先を読むのが辛くなるような分析、刺さってくる言葉。
そっと自分の背後を振り返るような・・
描かれる醜さに自分も無関係ではいられない感覚。

自分の過去を振り返って反省したかはともかくとして
私はこれを読みながら同時期に読んでいた
『まちがいだらけの少子化対策: 激減する婚姻数になぜ向き合わないのか』天野馨南子 著 きんざい 2024年刊
の内容を、ああやっぱりそういうことか、と深く首肯していた。


今や個人の価値観を大切にという考え方が広まり
結婚適齢期という言葉も死語になり
(その実、子供を作りやすい年齢というのは確実にあって、晩婚化は少子化の原因のひとつでもある)
結婚したい人に出会ったときが適齢期という言葉はそれはもう
政治的にも正しいのだが。
現実には、異性との出会いの多い時期(年齢)に、
伴侶を見つけて結婚するのが、その後、子供を望むとしたらどれほど
時間を無駄にせず、有利なのかということも含めて。
結婚相手と恋愛向きの人は違う、とか、年齢が上がるにつれ
人を見る目は肥えてくるが、出会いの機会は減ってゆく、だとか。
年長者が遠慮がちに言うことには真実が宿っている、ということなのだが。


いずれは結婚したい、といいながら結婚に向けて
まださほど努力をしていないそういう男女に、
先の少子化の分析本とともに、この本を薦めたい、と思う。
いえいえ、あなたがたが後悔しないために、というよりは。
日本の未来、少子化対策のために。





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