過ちは正される事はない。
急に社会的な事を言うつもりは勿論ないですが。
人類の、人の歴史(最近は人新生とか言うんですか?)
は、基本的に過ちの繰り返しです。
奴隷制度、差別、絶滅、兵器製造と
言った大きな事から、
言われなき暴力、
腐敗した役人、
例を上げると切りがないのですが、
人は、過ちを繰り返し、
そして概念を変えて、
同じようにします。
例えば、癒着や不正は、
功利主義的判断と
言い換えれば良いだけです。
女性や子供への暴力は、
思いやりやしつけ、
と言えば良いだけです。
僕がずっと注視している
立岩真也さんの
雑誌現代思想の連載があります。
精神科病院の現実的な歴史を
記載し続けています。
そこに溢れる患者への
暴力や偏見差別は、
誰が異常な人間なのか分からなく
思うほどです。
そしてその一群の人は、
現在でも日本精神科医学会などの権威です。
だから、日本の精神科治療は
酷いのです。
それを知らないほど、
ナイーブな人は関係者に
いないと思います。
だから、根本的に、
メンタルヘルス界隈の
新しい取り組みは阻害されます。
彼らからすれば、
自分の固定資産を取られると
思うからです。
でも本当はニーズが違うので、
バッティングしないのですが。
うつ病も、社会不適応も、
自分の領域に組み込みたいだけです。
思春期の生徒に介入できるカウンセラーは
これほど、不登校やいじめ問題が
クローズアップされても育ってません。
嘱託で便利屋のスクールカウンセラーが
申し訳程度にいれば
良いはずないです。
つまり、明らかに間違ったシステム、
いや姿勢を人は正しません。
それはある意味で人を無力化します。
例えば、うつ病といえば、脳の失調という
コンセンサスはあります。
でもどうしてそこに失調があるか、
その根拠は確かに思えません。
仮に脳の疾患なら、トリガーたる
抑うつに至る悲嘆エピソードは
要らないはずです。
風邪を引くようにある日なるのですから。
そこに原因らしきものがあって、
結果脳の不調が起こる場合、
その時に参照されるべき事態は、
その悩みそのものの筈です。
勿論急性期に
服薬という選択はベターです。
自殺をさせてはいけません、
しかし、
落ち着いてきたら、その悩みを
どうするかという問題は残ります。
それは人が自分で考える。
もう医療の問題じゃない、ときっと
お医者さんは思ってます。
すると結局、
死なない程度の明らかに
人を苦しめてしまっている痛みは
解決のないままになります。
それを解決する気がないものは、
対人サービスと
僕は言えない気がするのですが、
どうでしょうか。
次回は、対人サービスと、
感情労働を中心に続けます。