人の悩みを考えよう
スピリチュアルな話はしませんので、
ご安心を。
僕自身俗な人間なので、大層な事は言えません。
だけど悩みとはすなわち自分の悩みに
なってませんか。
例えば、子育て夫婦がいれば、政治家に求めるのは、
子供対策に集中しますね。
僕はそこにズレがあると感じます。
まず自分の問題と悩みは少し置いて、
周りにいる、ある意見の中で、
自分の考えてみるべき、悩みを考えてみる。
そこで見えてくるのは、なるほど。
自分の悩み第一主義では、人は付いてこない。
意見にならないという事です。
それを意見に集約するには、人の気持ちを
考える。
それも、自分とは違う立ち位置、クラスターの
人たちの気持ちです。
なぜなら、多くの人が賛同する
意見が、人を社会を動かします。
それなら、そう動いた方が得。
つまり功利的。
そして合流的です。
ここで少し話を変えます。
僕はTwitterを一時期やっていましたが、
やめました。
理由はしっくりこなくなった。
それに尽きます。
Twitterには弱点があります。
それはアイメッセージに基本的に
なってしまう事です。
それは機能としては正しいですが、
物事の表現としては誤解を招く事もある上、
思考のパタンを悪くする気がします。
例えばつぶやきは、誰がつぶやいたか、
という事にかなりの意味がある事と、
リツイートという機能も、
人のアイメッセージを代理する
事になります。
実は論理の上で連帯しづらい。
だから、つぶやきである
という自己把握は正しいです。
しかし一方で、
悩みが辛いのはそこに
痛みが伴う事です。
頭痛、吐き気、不眠、生理痛。
なんでも良いですが、
痛みというのは、シンプルに辛いです。
故に説明しづらい。
辛いものは辛いですから。
だから、悩みを打ち明けようとすると、
力が入ります。
この痛みを分かるかい?
といういささか勇み足になる。
残念ながら他者の痛みは
分かりません。
むしろ分かるという人間が
僕には不気味に思えます。
次回は、人の気持ちが分かるものだろうか?
で続けていきたいと思います。
三日坊主にならぬよう気をつけます。
毎日暑いので、体にはお互い気をつけましょう。