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やぎさんゆうびん

小さい頃から好きな歌に
『やぎさんゆうびん』がある。

みなさんご存知の通り、
白ヤギさんからきた手紙を読まずに食べてしまった黒ヤギさんは、

「なんのご用事だったんだろうなぁ」と
白ヤギさんへ手紙を出す。

その手紙を白ヤギさんは
読まずに食べてしまい
同じく、

「なんのご用事だったんだろうなぁ」と
黒ヤギさんへ手紙を出す。

これが延々と繰り返されるのだ。




本能?にあらがえず
ついつい手紙を食べてしまう
白ヤギさんと黒ヤギさんが
かわいいやらおかしいやら気の毒やらで
歌うたび笑ってしまうのだが

これを書いたまどみちおさんは
なにを思ってこの歌詞を書いたのだろう。




彼の詩ですきなのは
『ぼくがここにいるとき』

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ

マメが いるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

まどみちお
『ぼくが ここに』




このような詩を書く人が
ただヤギが手紙を食べるだけのことを
書きたかったとは思えない気がするが
どうだろう?


キーポイントになるのは白・黒という部分だろうか?


正と悪的な…?
手紙=紙→神的な?

うーん、
両者が互いにその手紙(紙=神)を読もうともせず食べてしまう。

どちらかが読もう、理解しよう、とすれば
不毛なやり取りはすぐにでも止められるのに…という平和メッセージ的な…?


重要なのは一番はじめに
白ヤギさんは黒ヤギさんに
何かを伝えようとしていた、ってことだよな?何を伝えたかったんだろう?


それに自分から手紙を出しといて
黒ヤギさんから来た返事を
読まずに食べちゃう白ヤギさんって…

いやいや、でもさ、
ヤギにとって紙を食べるって
本能みたいなものでしょ?
仕方ない気もするなぁ…






ああ、やっぱり
私の知識教養では到底わからない謎の歌だ。

もう単純に白ヤギさんと黒ヤギさんが
うっかり延々と手紙を食べてしまう
その光景が可愛いだけの歌でいいのかもしれない。


だれかヒントをください。





ヒントを得たくて色々調べていたら
なんだか博識な方達が
真面目な感じで仮説立てたりしてて
私なんぞが語れる領域にあらずと白目になった。

そんな深い歌やったんやなぁ、やぎさん。





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