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続•やぎさんゆうびん

昨日書いた記事に追記しようと思ったのですが、ものすごく目から鱗(?)
自分がもう、まったくもって考えてもみなかった優しい解釈を教えてもらい

これまでの謎が紐どけるような気持ちで
感動したので文章にします。
(あまりに感動興奮し恐ろしいほどの
長文コメントを残してしまいすみません…)



昨日書いた『やぎさんゆうびん』に対して、
風待ちさんがこちらの記事を書いてくださり



そうか、そんなふうに
緩やかに人と繋がる方法があるのかと気付いた。

そしてそれは最近ずっと考えていた
「どうすればもっと人と緩やかに繋がることができるのだろう」という問いに対する
一つの答えでもあるような気がした。



人に踏み込まれるのも
踏み込むのも怖い私は

友人から連絡が来ても
「私に何を求めているのだろう」とか
「私に何を言って欲しいのだろう」とか

意味のないことに
どんな意味があるのかとそればかり気になり、
やがては気にすることに疲れ、

連絡をくれる人に対して
「用事がないのになぜ連絡をしてくるのだろう?」と不思議な気持ちになったりしていた。


そんな感じだから
友人と呼べるような関係性の人間はほぼおらず、

恋人にするとき
見極める方法の一つとして
「その人の交友関係を見る」という方法があると聞くが

確かにそれは信頼できる要素の一つであるかもしれないなぁと、我が身を振り返り思ったりする。




現在勤める会社で
とある年上のお姉さんが
定期的にランチに誘ってくれる。

別に大した話はしない。
私なんかとランチして果たしてこの人は楽しいのだろうか?と不思議に思うのだけど

なぜか定期的に「よし、そろそろご飯行くぞー!」と誘ってくれる。


いつもワイワイと大人数の中心にいるような
その人なのに

私がそのような場所が苦手だと見抜いてか、
他に誰も誘わず2人だけでご飯を食べてくれる。
(正直はじめは何かの勧誘をされるのでは…と勘繰ってた)




風待ちさんが書いていた
文章を読み、

どんな関係性でもないのに
意味なく他愛のない内容で連絡をしてくれていた人たちや、ランチに誘ってくれる彼女はそう言うことだったのかもしれないと思い、不覚にも泣けてしまった。



手紙の中身じゃなくて、「お手紙出した」ってことが大切で、それを読まないことで、ずっと繰り返されるということ。

それで、お手紙出したり待ったり、おうちに行ったりする関係が保たれるってこと。



そうか。
別に手紙の中身、はどうだっていいんだ。

それを送りたい、と思った
行動こそに意味があるんだ。

世界はなんて優しいんだろう。



そして自分の
頭でっかち、カチカチ石頭具合に
少々嫌気がさしてしまった。


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