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79年目の原爆の日

朝起きて、今日は79回目の原爆の日だと思った。

8時15分になったら黙祷しよう。


いつもどおり顔を洗い歯を磨き日焼け止めをつけて散歩する。




日差しから逃げるよう早歩きしている道に
たっぷりと木陰が伸びていることに気付いたのは7月下旬ごろだ。

日の出時刻が1番早い5時5分から
いつのまにか5時15分になっていた。

そして今日、8月6日の木陰はあの日よりもさらに濃く長くなっていて季節はちゃんと巡っていることを実感する。

日の出時刻は5時30分。
このひどく暑い夏はあとひと月もすれば終わる。


原爆投下の日の朝、私みたいなことを考えて過ごした人もいたかもしれないな。



家に帰り朝ごはんを食べ終えてもまだ8時前で
黙祷まで少しあるので先にお弁当を作ろうと
卵を焼き、冷凍していたシャケをレンチンする。

ひじきの煮物と切り干し大根と
そうだ!大葉を買っていたからこれも入れちゃおう。

梅干しの赤まで添えるとなんだかとても豪華(に見える)お弁当の完成。三原色はマストだわ〜

と楽しくなっていたら15分をとうに過ぎていた。

本当そういうとこだっていつも言ってんじゃんと自分自身にぼやきつつ
これが平和か、と思う。


79年前の8時15分、私と同じようにお弁当を作っていた人がいたかもしれない。

大切な人のために作っていただろうか。
美味しく食べられますようにと願っただろうか。


その人は母親だっただろうか。
どうなっただろうか、その人は。
もしもその人が私の母親だったらどうだろうか。


テレビからは広島県の湯埼知事のスピーチが流れていた。

「「過ちは繰り返しませぬから」という誓いを、私たちは今一度思い起こすべきではないでしょうか。」


小学生の頃はだしのゲンをよく読んだ。
漫画だったからと言うのが一番の理由で
怖いもの見たさというのが二番目の理由。

こんなに大量に死んで痛い思いをして
親が、子供が、友達が、一瞬で人間であってそうでないものになってしまう。

こんな馬鹿げた戦争を二度とするわけがないじゃないかと小学生の私は思った。

当たり前じゃないか、と。
当然だ、と。

あの頃聞いた「過ちは繰り返しませぬから」はもっと重かった。

みんながそう思っていると言う絶対的な安心と真実味があった。


何十年か後の今日聞いた「過ちは繰り返しませぬから」はあの頃より頼りなく聞こえて、なんだかそれが少し怖かった。



なんでもない日常が幸せ、
なんでもないことが幸せだ。

そう思うけど、思うだけでは足りないだろう。


退屈きわまりないのが 平和
単調な単調なあけくれが 平和

生き方をそれぞれ工夫しなければならないのが 平和

男がなよなよしてくるのが 平和
女が溌剌としてくるのが 平和



好きな色の毛糸を好きなだけ買える
眩しさ!

ともすれば淀みそうになるものを
フレッシュに持ち続けてゆくのは 難しい
戦争をやるより ずっと

見知らぬ者に魂を譲り渡すより ずっと



けれど
わたくしたちは
それを
選んだ

1966年10月「装苑」
谷川俊太郎選 茨木のり子 全詩集




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