卒業おめでとう:今は第二ボタン下さいとかそういうのはないの?雑談です
今日は近くの中学で卒業式があったようです。大勢の卒業生(胸にピンクの可愛いコサージュをつけていました)とすれ違って、ちょっと思ったこと。
「今は第二ボタンをくださいとか、そういうのはないの?」
何を見てるんだ、とお思いかもしれませんが、男子全員がブレザーのボタン、きちんと3つ付いてました。(見たのは50人程度なので、卒業生の三分の一くらいかな?)
それとも、それは詰襟の学生服に限った習慣だったのでしょうか?後で社員にも聞いてみようと思います。
卒業式だからかもしれませんが、みんな小ぎれいで、ボタンが取れてる子なんかいないのもちょっと感心しました。
私が中学の頃は、学生服のボタンがいくつか無いなんて子はたくさんいました。結構荒っぽい時代だったので、胸倉掴んでボタンが飛んだ、なんていうのもよくあったし。
私自身はやったこともやられたこともないけど。
それから、卒業式で思い出したのは、「お礼参り」というやつです。
私の時はまだそこまで荒れていませんでしたが、同じ東京の区立中学を5年後に卒業した弟の時には、卒業生が先生に暴力を振るわないように、警察が卒業式を警戒に来ていました。野蛮な時代ですよね。トイレのドアは一枚もなかったそうです。野蛮ですね。
で、私の思い出は、担任の教師から同じクラスのS君が不良グループ(懐かしい言葉!)に殴られるという噂があるから、傍にいてくれないかと言われたことです。
ひどい話ですよね。あんたが守ってやれよ、と当時ですら思いました。S君というのは、軟式テニスで東京で優勝した子で、とても女子に人気があった子です。ちょっと生意気な感じの子でした。
私からすれば、殴られてしまえ、とまでは思わないにしろ、別に守ってやる義理はない。そして相手側は卒業して順調に暴力団の構成員になったような奴がリーダーで、当時すでに身長は180センチ超えていましたし。
で、結局そんな暴力沙汰はなかったんですが、ちょっと緊張感のある卒業式の思い出です。
その担任教師は、そういう頼みごとを他にもしていて、3年の秋、しばらくその教師に頼まれて、というより命じられて、成績の良くない女子生徒3人に勉強を教えることになりました。教える側は私と生徒会長だったY君です。
その3人の女子生徒のうちの一人は、3年間、ずっとイジメにあっていました。クラスの男子・女子の三分の二くらいが加担するようなイジメです。私もY君もそのイジメの標的になる可能性もありました。
実際は、あまり深刻な事態にはならず、その放課後の勉強会は2ヶ月くらい続きました。もしかしたら、そのことで、女子の今でいう一軍グループから無視されていたかもしれません。私はたいして気にしなかったけど、人気者でいい奴のY君はちょっと辛そうでした。
ベテランの教師なら、そのくらい気づかないわけはなんだけど、それでも平然とそんな頼み事をしていましたね。
変わった先生でした。
卒業して30年くらい経ってから知ったんですが、その先生は大学を出てから教師になるまで、ある劇団で女優をしていたそうです。「人形の家」とか、そういう演目の。それで、遅れて教師になって、当時他の教師からイジメられていたそうです。それは遅れて教師になったからではなく、先生の性格に起因してますよ、きっと。
※昭和のしょうもない思い出でした。