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チャリで行ける、どこまでも

最近6歳の息子が、補助輪なしで自転車に乗れるようになった。

嬉しそうに家の周りをぐるぐるしている。

「やったやん、これでどこでも行けるやん」
「ほんとに。オオサカも」
「おぉ、行ける、行ける」
実際には我が家から、大阪まで行った場合、この子のペースじゃ5日程のかかるだろうけど嘘じゃない。むしろ、行ってしまうような子になってほしい。

自分が19歳の時に、東京から京都の片田舎にある実家までママチャリで走ったことがある。当時東京の調理師学校に通っており実家に帰るのに新幹線ではなくチャリを選んだ。

そんなことをやる理由。ただ、ちょっとやってみたかったから。

あと、社会人になる前にこれぐらいはできる根性をつけないと社会じゃやっていけないだろうという謎の考えを当時持っていた。

100円均一で日本地図を買い、経路の確認。
ふむふむ。ほぼ国道1号と9号を進むだけ。当時はパカパカの携帯電話で、バッテリーも1日で切れる。何日かかるか見当がつかないので保険ため財布には2万円入れておいた。

出発日は12月24日。
多分大晦日までには着くはず。

走って数時間で、いきなりパンクした。最悪。
自転車屋の場所の教えてもらうため近くにあった交番に寄ると「雪降るし自分死ぬよ。やめとき」と警察のお兄さんから優しい言葉を頂いた。

自転車屋でパンクを直してもらい再開。
もう無理ってなったら、電車を使えばいい。行けるところまで行ってみよう。

1日目は箱根の峠の頂で、寝袋に包まり眠った。シンプルに寒いし、当然よく眠れない。
通りかかった人に心配され声をかけられた。真冬に峠で寝ている人みたらそりゃ気にもなる。事情を話すと「頑張ってよ」と言ってお互いのカメラで一緒に写真も撮った。その謎の写真は今でもアルバムに残っている。
無事に朝までやり過ごし、峠からの長い長い下り坂、富士山がでっかく見えて気分が良かった。

2日目、もう携帯電話の電源が切れた。
自転車をこぐ。こぐ。こぐのみ。
飽きてもこぐしかない。
夜になるまでは食事以外はひたすら自転車をこいだ。

夜になり道路わきに寝袋を広げた。寝袋が湿気でぐっしょりと冷たい。震えながら朝を待つ。

3日目も自転車を漕ぐのみ。
食料と水は意外と困らなかった。どこにでもあるコンビニや自動販売機の偉大さを知った。
そして、道路がずっと続いている。当たり前のように使っているけど、これで全国どこへでも行ける。道路を造った人たちって凄いよなと独りで感心した。

4日目
滋賀県草津市。自転車で走っていると雪が降ってきた。しかもサラサラした雪じゃない、ぼたん雪。やばい、もうすぐ夕方になる。
コインランドリーに逃げ込み、様子をみるが一向に雪は止みそうにない。
困った。さすがに、雪の中ビショビショの寝袋は死ぬ危険性を感じた。

コインランドリーには70代ほどの女性がいた。
「すみません、ここら辺で雪をしのげるようなところってありませんか?」と聞いてみると、
「ん?どういう事?」とおばさんは不思議そうな顔をしている。
自転車で京都の実家まで帰る途中であり、寝られる場所を探していることを説明すると、おばさんはちょっと考えてから「ん〜じゃあ、家来る?こんな雪じゃ大変でしょ」と言った。

(え、冗談でしょ。会って間もない人間を自分の家に入れようとするなんて。テレビでしかみたことない。)

冗談かと思い「いやいや大丈夫です」と遠慮しても、「本当にいいから」と本気のよう。え〜それじゃあ、とついて行くと、コインランドリーの近くにその人の家があった。一般的な二階建ての一軒家。中に入ると30代と思われる息子さんがいた。勝手に一人暮らしと思っていた。息子さんは特に気にすることもなくテレビを観ている。

濡れた格好のままでは風邪をひくからと、お風呂の準備までしてくれ、布団まで敷いてくれた。
なぜ、見ず知らずの人間にそんなことをしてくれるのかと聞くと、「そういうの前から好きなのよ、前は、ヒッチハイクしてる人とかひよこ連れてた人も泊めたこともあったよ。困ったらお互い様。そういう人みたらほっとけんのよ」と笑いながら話してくれた。

自分なら同じ状況で絶対に知らない人を家に入れようなんて思わない。だってリスクしかない。
自分がよっぽど哀れに思える姿をしていたのだろうか。自分と全然違う価値観のひとが世の中にはいるものだと驚いた。そして、感謝した。

「朝起きて肝臓無くなってても知らんで」と寝る前おばさんが笑いながら言った。そのおばさんのボケなのだろうけど、こんだけされたら、何かされてもまぁ、仕方ないかと思いながら、布団に入った。

天井をみながら、ふいに不安でいっぱいになった。
ま、まさか。あのおばさんは現代のヤマンバなのでは?
あまりにも親切すぎる。
日本昔話で読んだことがある。困った旅人を家に泊め、寝ている間に包丁とぎとぎ。夜中に人を喰らうヤマンバの話を。

そんなことを考えいたら
あれ?
体の異変に気付いた。
うそ、
体が全然動かない。
まさか、金縛り。

こ、殺される。
死にたくない、
死にたく

気付けば朝になっていた。
生きてる。大丈夫、服も乱れてないし何もされていない。

どうやら、自転車こぎっぱなしで溜まった疲れと連日の寝不足で金縛りになり、気が付いたら朝までぐっすりだったようだ。

「よく眠れた?」とおばさんが笑顔で朝の挨拶をしてくれた。

疑ってすみませんでした。おばさん。

ごはんと味噌汁の朝食を食べ、家を出るときにはおにぎり2つまで頂いた。
ヤマンバどころか仏様だった。こんな出会いがあるなんて、感謝しかなかった。

その翌日、無事に自転車で実家につくことができた。

母親は「こんな時期に自転車で帰ってくるなんてアホやなぁ」と言った。まさにその通りと思った。
ほんの少しの達成感と実家という安堵感でいっぱいになった。

一個だけ分かったことがある。

自転車があれば意外とどこへでも行ける。


40代の今、同じことをやりたいなんて全く思わない。
若いときにしかできないこと。そんな経験を息子にもしてほしい。その行為に意味があるかどうかは知らないが。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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