
【短編小説】言葉にできない (#4)
#4 やりたかったこと、できなかったこと
木曜日。一輝は朝から心が落ち着かなかった。昨日の恵美との出会いで、自分に足りなかったものを教えてもらえた気がした。しかし、今から考えても遅すぎることもある。もう少し早く気付けばよかったという思いもあるが、残された時間はあとわずか、後悔している時間すらもったいないと考えるようになっていた。
授業中ではあったが、一輝は自分の過去を振り返りながら、あらためてやりたかったこと、やれなかったことをリストアップした。あれもこれもと思い出すたびに、心が締めつけられるような感覚に襲われた。しかし、悔やんでいても仕方がない。今、できることを一つ一つ実行するしかない。リストアップに夢中で、午前中の授業内容がほとんど記憶に残らなかった。
ずっと行きたかった博物館も、大きなスクリーンで観たかった映画も、大好きな音楽が生まれた街への観光も、憧れのスーパースターに会うことも、平島が住んでいるベトナムに遊びに行くことも、このままでは何ひとつ実現できそうにない。つい先ほどまで張り詰めていた緊張の糸が突然切れた。一瞬の出来事だった。下校時刻になった。
各駅停車の車両に乗り込んだ黒い学生服姿の一輝と優斗は、横並びに座ってそれぞれスマートフォンの液晶画面を見つめていた。優斗はパズルの続きを、一輝はひたすら「ずっと行きたかった場所」を検索し続けていた。しばらくゲームに夢中だった優斗が、ふと首を横に振り、隣にいる一輝の真剣な表情に気付いた時、何とも言えない違和感を覚えた。
「一輝。何、調べている?」
「調べてないよ。」
「調べているって!何でツッコミ入れているのかよくわからない自分。何を急いでいるんだよ。」
「調べてないし、急いでもいない。」
「調べているし、急いでいる感じなんだって!お前、オレがこんなに心配しているのに、何で流すんだよ。流して、流して、はい、卒業~って感じ?」
「何を言っているのか、さっぱりわからない(笑)」
優斗の難解な絡みに一輝は、つい噴き出してしまった。相変わらずの優斗に対してこれ以上、塩対応でいる自分って何だろう。来週にはもう会えないかもしれない、と考えたら、そして、恵美から学んだ笑顔の共有を思い出したら、この電車内でのやりとりもすごく貴重な時間に思えてきた。
「ごめん。実は以前、京都の美術館でやっていた企画展に行けなかったのが悔しくて、今度は事前にしっかり調べておいて、親にお願いしようと思って。親も巻き込まないと連れて行ってもらえないし、温泉なんかも調べたりして。」
「はぁ。温泉で親を釣って、いざ、出掛けたら、親はそっちのけで自分は見たいものを勝手に見てくるという・・・」
「ひどいキャラ設定にするの、やめろ(笑)」
やはり、優斗との想い出はこれでいい。自分の寿命の話などする気も起きなかった。優斗が先に電車を降りると、一輝に向かって変顔で手を振ってきた。いつも手を振ってくれる優斗に対して、今日だけは一輝も満面の笑みで手を振り返した。すると、優斗は振っていた手をゆっくりと下ろし、一輝の様子をじっと見つめていた。
帰宅途中のすずらん商店街で、ふと精肉店のおばさんと目が合うと、笑顔で「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。その笑顔に、一輝は心の中で「ありがとう」とつぶやいた。友だち数人といればコロッケを買って食べ歩きしたいところだが、ひとりだったのでそのまま通り過ぎた。ただ、いつもの心境ではなかった。家が近所だった平島とコロッケを食べながら帰宅していたあの頃に戻りたい。当たり前のように通り過ぎていた瞬間が、今は貴重に思えた。
(#5につづく)
言葉にできない』
◆#1「夢の予告」
◆#2「先延ばしにしていたこと」
◆#3「話せたこと、話せなかったこと」
◆#4「やりたかったこと、できなかったこと」
◆#5「漠然とした不安」
◆#6「残り少ない時間」
◆#7「終わりと始まり」