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子育て、全ての教育にも、共通の大切なことがあると思った

一昨年の春、初めて依存症の教育プログラムに参加してみた。
そのプログラムに参加することにより、家族会の参加が認められる。
まずは勉強しなさいということだ。
依存、治療、回復のテーマに沿って、3回に分けて進められる。

依存とは
・機能不全家族、アダルトチルドレン、様々な要因が考えられる
・一度覚えた快感を忘れられない病気
・依存でストレス解消にはならない
・依存があるからストレスに弱い
・本人はそのことを気が付いていない
・強すぎる意志だからやめられない                 
    

このような説明を聞きながら、常に息子の言動が脳裏に浮かんでは消えた。
そして、私自身の至らなさを突き付けられているようだった。

支え手に大切なこととは
・問題解決を急ぐあまり、言いすぎて本人が話さなくなっていく
・先回りして考えすぎる
・正しいことを言いすぎる
・本人の嫌な部分は慎重に
・感情的にならない
・理性で対応
・本人を変えようとせず、家庭から変わっていく。
・本人から助けを求めたら助ける
・本人が自分で気が付くように仕向ける。    
・支える人は、不安から相手をコントロールしようとして悪化していく。     
・相手に振り回される
・一定の距離感

このような内容で進んでいく中で、一つ心に浮かんできたことがあった。
支え手に大切なことは、ほとんどが、子育てや普通の教育の中でも、共通の大切なことではないだろうかということだ。
私は全然ダメだったと思う。
人としてそういった謙虚さや、本当の意味で賢さが足りなかったと言える。
だからこうなってしまったのだとあらためて自分を責めていた。

私は家族会に参加しながら、支える人のオンラインや、様々な動画や著書で勉強を始めた。
そうすることで、自分自身の心の整理にもつながった。
それでも、次男の様子は変わらずに、ひたすら創作を続けながら悪化していき、私自身、焦りからかどうしても感情的になっていることに気づくことができなかった。
教わったことについて、理屈ではわかってはいるものの、長年沁みついた自分の性格などすぐに変えることなどできないのだ。
この時の息子と夫は、ほとんどコミュニケーションがなかったので、私は、どちらかと接している時は機嫌を取って過ごしていたと思う。
この悪循環をどうにかできないものか、そんな時息子がある行動に出た。
それは、教育プログラムの中でも話していた、大切なことの一つにつながることになっていった。

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