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文明の利器で産み出された時間はどこへ?
旅の準備を早くしたいので、1月施術分の保険請求業務は、今日中に終わらせた。
明日には、レセプトを国保連に郵送出来る。これも文明の利器であるPCのお陰だ。
患者数が違うので、一概に比較出来ないが、以前は全て手書きで、徹夜並みに時間をかけてレセプトを作成した、という話を聞いた事がある。
それにしても、思う。
自分が、社会人になった30年前よりも、今はIT技術とOA機器が発達し、インターネットの普及とともに、仕事の効率が格段に良くなっていると思う。
にもかかわらず、人手不足や長時間労働が、いまだに問題になっているようだ。
そういえば、今日の日経新聞に、日本の生産性の低さについて指摘した記事があった(総合5面・「IT投資 生かせぬ日本」より)。日本の多くの企業は、IT投資額が拡大しているにもかかわらず、そのインフラに見合った働き方に変えることが出来ず、結果的に生産性が低いままとなっている、らしい。
ひとりで仕事をしていると、誰の顔色を伺うこともなく、自分で決めて自分で動く仕事のためか、今では時間もお金も比較的自由になった。
けれども、多くの会社組織は、今でも旧態依然としているのだろうか?
文明の利器によって生み出された余剰時間を、多くの人に還元できれば、幸せな人が、さらに増えると思うのだが。日本では、そう簡単な事ではないのだろうか?