Z級映画の魅力について
皆さんは映画というものに対して、どのようなイメージを持っているだろうか。
「お金に余裕があったら見にいくもの」と思う人もいれば「単なる長時間のドラマ、アニメ」と思う人もいるだろうし、なんなら「なんか毎週金曜の夜にやってるやつ」と思い浮かべる人もいるだろう。
今でこそサブスクやらネットでの無料配信などで映画は身近なものになっている。しかし私はどうしても「映画館に行き安くはないチケットを買って見る特別なもの」というイメージが抜けなかった人間だ。だから映画に対しては「高級感・特別感」のイメージがあったし、それを見るとなると見に行く時間と場所とを考えて予定を決め、自分の中でテンションをあげて相当気合を入れていかなければならなかった。実際そのイメージがあったおかげで
映画を見たときの興奮と喜びは一入だったし日常では味わえない非日常感は楽しかった。
ただ「約二千円払って見るのだからしっかり見なければ」という感覚があり非常に集中力を要するものになってしまっていたのも事実だ。
つまるところ私は勝手に自分の中で映画そのものに対するハードルを爆上げしていたのである。
かくいう私もサブスクのおかげで映画を見るということに対するハードルはほんの少し下がったわけだが、やはり仕事や日常生活を慌ただしく送っていると体力が残っていないので集中力を要するものを見るのは億劫になってしまう。そうして悲しいことにどんどん映画を見る回数が減っていっていた。
そんな中で偶然出会い、この上がりに上がった映画に対するハードルも「高級感・特別感」のイメージも破壊しつくしてくれたのがZ級映画だった。
Z級映画の前に、B級映画なるものを皆様はご存じだろうか。定義としては下記らしい。
もちろんそんな低予算・短納期で作られた中でも素晴らしいという評価を得た人気作品は多々ある。
有名どころでいえば2021年に日本版が作られた「CUBE」(1998年)や数年前に話題になっていた「カメラを止めるな!」もB級映画だ。これらは低予算であることを逆手にとって出来上がった作品で面白いし、調べてみるとこの映画ってB級映画なの!?と驚かされるような作品も存在する。
しかし、奇しくも私が出会ってしまったのは低予算・短納期で作られた中でも素晴らしい作品が多々存在するB級映画とは一線を画す、チープ感満載かつシュールさ溢れる映画たち……所謂「Z級映画」の方であった。
ではこのZ級映画はどういうものか。有名(?)な作品をあげるとするならば「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」や「シャークトパス」などがあげられる。これらのタイトルを見てどんな作品か想像できるだろうか。凡その人はトマトとサメぐらいしか想像できないだろう。ちなみにアタック・オブ・ザ・キラー・トマトは極秘開発されていた巨大トマトが突然変異して人々を襲い始めたというパニックホラーで、シャークトパスはサメとタコの遺伝子を組み合わせて作られた巨大生物兵器が人々を襲っていくというパニックホラー映画だ。…私は何を書いているんだろう…?
そんな名迷作溢れるZ級映画の中で私が出会い今でも心奪われ愛してやまないZ級映画は「ウィジャ・シャーク」だ。
こちらもタイトルでは「まあなんかサメに襲われる映画なんだろうな」くらいしか想像がつかないと思う。
一応この作品のあらすじはこうである。
……何???
きっとこのあらすじを読んでもこの作品がどんな作品か理解できないだろう。なおこの作品は内容を見ても理解できない。というか製作スタッフ側も別に見る人に理解してもらおうなんて思ってないのではないだろうか。一応言っておくとジャンルはちゃんと(?)サメ映画らしくホラーだ。
ちなみに画面の手ブレはあるし今のは何だったの?と言いたくなるシーンやここで絶対こんなに尺使う必要なかったよね?と思うシーンが多数ある。そして極めつけは今作で恐怖の対象となるサメの見た目だ。その本編で登場する恐ろしいサメの姿がこちら。
凄まじく恐ろしい大迫力のサメである。
これが本編で襲い掛かってくる。なんて恐ろしいんだ。
さてこの映画のクレイジーさ面白さは前述した内容だけでは収まらない。
この映画はサメのホラー映画でありながらなんと作中で死体が登場しないのである。なお、ちゃんと死人は出る。
死人が出ているのになぜ死体が登場しないかというとサメに食われた瞬間に人が消えるからだ。しかもなんか「こりこりっ」とか「しゃくしゃく」みたいなリンゴを齧るようなSEと共に人が消える。このSEがサメが人を食べた音だ。予算の都合で死体を出せなかったからなのかあえてそうしたのかは分からないが死体を出さずに人そのものを消すというなんとも斬新なスタイルである。
さらにこのあとは唐突に主人公の家系がオカルトの家系だということが判明したり、主人公のお父さんがなんか霊能力者っぽかったり、お父さんが相談してた占い師の持ってる水晶が明らかにドンキで売ってそうな丸い虹色に光るライトだったりと休む間もなくツッコミどころがやってくる。
一番の見どころは最後のサメとお父さんの最終決戦シーンだろう。
幽霊ザメがはいた火の玉にお父さんがオカルト殺法で応戦し決着がつくという一番盛り上がるシーンだ。
……恐らくすべての人が「こいつふざけたな」と思っているだろうが、これはおふざけでも何でもなく本当に映画の中のワンシーンとしてある。
一時期Twitterなどでも話題になっていたのでそのシーンや名前だけでも知っているという人はいるかもしれない。そう、かの有名(?)な「ミスティック・シールド!」のシーンである。
今までの私の感想や上記の画像たちを見て「え?そんな状態なのに映画って大丈夫なの?」と不安になった方々、安心して欲しい。得てしてZ級映画というのはそういうものだからだ。
Z級映画は言葉を選ばずに言うと基本的に理解できないし出来もお世辞にもいいとは言えないものばかりだ。
手ブレが酷かったり演者の台詞がとんでもなく棒読みだったり明らかにフリー素材な景色の映像の画質が一番綺麗だったりなんてことはよくある。それどころか話の展開も支離滅裂だし急展開どころか明らかに撮影中に思いついてそのまま採用したよねみたいな展開になることもざらだ。あと大体上映時間が1時間前後で短い。
今のところ悪口しか書いていないように見えるがこれがこのZ級映画の魅力である。
端的に言うとこの意味が分からなさが魅力なのだ。
映画を見るにあたって面白い作品であれば画面の中の映像や聞こえてくる台詞や音といった映画を構成する一つ一つが重要なピースになってくる。それは雰囲気作りであったり没入感を高めるものであったり、ミステリーであればヒントになりえるものであったりもする。
見ている我々観客はその与えられた情報たちの組み合わせに揺さぶられ、魅了され、世界に引き込まれて、最後にエンドロールで映画の中の世界から画面の前の観客としての自分に戻ってくる。それはとても素晴らしい体験だ。私はこの感覚が好きで映画が好きになった。
こういった体験をさせてくれる作品において映画と我々は作品とその観客の関係になる。私たちは最後までこの映画にとってのお客様だ。
しかしZ級映画はそうではない。
こういった作品を見ていて無言でいられる人はいないのではないだろうか。恐らく一度は絶対に「なんだよこれ」といったツッコミを入れることになるだろう。その言葉に込められた感情が喜楽か怒りかはさておき。 つまりボケ倒してくる映画に対して本来観客であったはずの我々がツッコミをいれる形で見ることになる。「さっきのシーン何の意味があったんだよ!」だの「あれ?このエキストラさんさっきも死んでたよね?!」だのもう強制的に観客席から舞台の上に引きずりあげられてボケとツッコミのお笑いコンビをさせられている状態だ。
これではもうお客様ではいられない。
通常の面白い映画を見ているときは映画にもてなされてまるでちょっと良いレストランでお食事をするようなそんな感覚だが、Z級映画はもてなすどころかいつの間にか一緒にスナック菓子を開けてお茶を準備してだべりながら食べているようなそんな感覚になるのだ。
そのスナック菓子のような映画に魅了された私はその後様々なZ級映画を見漁り一人で映画にツッコミを入れながらゲラゲラ笑っていた。
これじゃもう映画に対して高級感だの特別感だのは言っていられない。
そりゃそんな価値観も壊れる。というかそんなイメージを持っていられなくなった。
そしてそんなイメージを壊された私は今現在、以前よりも気軽に色んな映画を楽しんでいる。
そして何故か以前より作品の演出であったり台詞の意味への考察をよくするようになった。Z級映画にツッコミを入れ続けた結果何かが鍛えられたのかもしれない。知らんけど。
とにもかくにも様々な映画の出会いと私が再びたくさんの映画を見ようと思わせてくれた「ウィジャ・シャーク」制作陣の皆様、ありがとうございます。
色々と小難しいことを言ってしまったが、中々笑えるものが多いので深く考えずに是非一度どうしようもなく暇な時間があったときにでも見てみて欲しい。
特に格式高い頭を使う作品を見るとなるとなんとなくハードルが高い気がしてしまう過去の私みたいな人やこういった映画を見たことがない人は一度こういった映画を見てみてはいかがだろうか? 良い意味で価値観が壊れるか怒りに震えることになるかは分からないが新感覚を味わえること間違いなしだろう。
P.S 大抵の人はツッコミを入れながら見ることになると思うので友人と一緒に見るとほぼ間違いなく盛り上がる。ツッコミが上手い面白い友人を巻き込んで誘って見るのが私のおすすめの見方だ。
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