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母の頭が変になった

月曜日

11時少し前、日本時間18時少し前の父から電話がきた。
「お母さんがちょっと変になった。」
そんな始まりだったと思う。

突然訳の分からないことを言う父、何があったが詳しく聞くと
先週の金曜日、ドイツに戻ったことを母は知っているはずなのに
「何かおかしい。まうじーちゃんがいないんだけど。」
と、父が家に帰ると玄関に立って、そういたと言う。

先週の金曜日

夏の間一時帰国していた私は、23時の便でドイツに戻った。
空港に行く前に、もちろん母は私を見送っている。
私の位置情報が分かるようにスマホも設定して、土曜のドイツ時間10時ごろ
「長旅お疲れ様」とLINEもよこしている。
日本時間19時ごろ、ドイツの家に戻ってからビデオ通話もした。
きちんと会話ができていたし、何もおかしなところはなかった。

日曜日(電話の来る前日)

お土産を夫の従兄に渡しに行く前に時間があったから、少し母とビデオ通話をした。
「昨日おじさんと話したら、まうじーがドイツに帰ったの知らなかったみたい。いつ帰るか話したはずなのにね。」と笑っていた。
もちろん、叔父には私がいつ帰るか話してある。
だから、私も「いつも日程知らないよね。」と話した。
「おじさんが『まうじーちゃんにお土産を渡そうかと思ったけど、荷物が重くなるといけないから、ドイツの家族と美味しいもの食べてってお金渡そうかと思ってたんだけど。なんだ、もう帰ったのか』って言ってたよ。」
いつも通り話して終わった。

再び月曜日

父は静かにパニックになっていた。
「お母さんが変になっちゃったんだけど、どうしよう。」
「まうじーがドイツに帰ったことを覚えてない。」

「脳梗塞とかくも膜下出血とか、何かあってからだと遅いから、救急で診てもらいに行って!」

「やっぱりそうだよね。行ったほうがいいよな。」

そして、父は母を連れて救急へ。
病院に着いてからも母は何も記憶ができず
「まうじーちゃんって家にいるんだよね?」
「どうやってここに来たんだろう。」など聞いていた。
また、一週間前くらいからの記憶がないらしい。

その日はCT検査を受けて、異常は見つからなかったけれど、MR検査があるから入院して翌日MR検査に。

母は「帰りたい」というので、父から私からも入院するように話してほしいと電話があり、母と話した。
この時初めて母の声を聴いた。
声は思ったよりも落ち着いていて安心した。けれど、やはり記憶があいまいなようで、私が日本にいるのかどうか尋ねてきた。
「今日はCTの検査をして大丈夫だったけど、明日またMRとか別の検査を受けられるように、何のため今日は入院になるって。」
「ああ、そうなの。分かった。」

そして、母は入院した。

月曜の0時くらい

入院した母と少し電話をした。
「今目が覚めたところなんだけど、なんか訳が分からない。」
「写真を見返しているんだけど、お祭りってやっぱりあったんだよね?」
そんな感じでまだ混乱していた。
眠れないかもしれないけど、今はゆっくり休むように伝えた。

そして、私も不安な夜をドイツで過ごした。

火曜日

日本時間11時ごろ、母に調子はどうかとLINEを送った。
「まだ頭が重痛い。早く帰りたいわー。」
「同室の人がナースコール押しまくって眠れなかった。その人が、朝から何回もご飯はまだかってうるさい。」
と、昨日とは少し違うみたいだった。

17時ごろMR検査をしてもらい、特に異常は見られず退院となった。

母の身に何が起きたのか。
CT検査、MR検査で異常は無く、記憶の混乱が今落ち着いているということから、先生の見立てによると「一過性全健忘」だろうということになった。

あとがき

起きたことを記録したいと思い、今急いでこの記事を書いている。
退院した母は、先週のことも思い出し、発症する直前のこともきちんと覚えている。(「お昼にスイカを食べたのは覚えているんだよね。」と話していた。)

今回のことで、国外に住む難しさを身をもって体験した。
両親、親戚は、この先当然老いていく。
家族の身に何か起きたとしても、すぐに駆け付けられない。
不安になっている家族の側にいることもできない。
頭では理解していたつもりだけれど、こんなにも辛く、不安なものだとは想像していなかった。

一時帰国のたびに、あと何回こうして元気に会えるのだろうと考えていたけれど、こんなにも突然そういう日がやってくるのだと思うと、とても怖い。

夫に泣きながら事の流れを説明したとき
「大丈夫だと思っているけど、何かあればすぐにまた帰れるから。」
と言われ、どれだけ安心したことか。

たった1日のことだったけれど、家族の大切さや繋がりを強く感じる1日だった。

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