旅行記(マレーシア・シンガポール)暑かった②
順華の小話へようこそ
マレーシア紀行の続きです。
クチンは猫の街言われていますが、何故か生きた猫ちゃん達には、お目にかかれませんでしたね。でも、眺める街並みの風景は、時間がゆったりと流れているような感じで、あっそうか、車が🚙渋滞していなことと、人がごった返していない事からそんな気持ちになったようです。でも、時間によっては、渋滞するとか…(笑)
中々やりますね〜。でも、ゴミ捨ては分別してなかったけどね😄
矢張り、旅行といったらお食事の事でしょう
まぁ、そこそこの味で、それ程辛くも無く、夜風に吹かれながら屋台の雰囲気を満喫していました。
旅の醍醐味ですよね~😄😍😋
さて、これからのは日本🇯🇵人にとっての大事なお話です。
我々は、世界大戦で東南アジアの国々を侵略したと言われて来ましたが、本当の趣旨は、侵略ではなく列強諸国からの解放だったのです。[大東亜共栄圏]と言ってね。義和団の乱で分かる様に中国人を初めとして(日本も含めてですが)アジア圏を彼等の奴隸化地域としたかったのです(先ずは、アフリカや南米がそうですよね)。この乱には、日本も参加していますが…色々不可解なところがあります。
戦後の歴史の変遷は、GHQの命令で行われたもので、正しく伝わられてはいませんよ。(特に共●党は、どれほど我が国の事を他国に売ってきたことか…まぁ、その様に上からの命令があったのでしょうかね)
其れは兎も角、日本から沢山の日本🇯🇵人慰安婦達もこの地に来ましたし、戦争で、病気で亡くなった方も沢山おられます。
この案内をして下さってる日本🗾人の方が、朽ちていた墓を1本づつ立て直して下さったのです。中には十代で亡くなった娘さんもいました…異国の地で…何で…
涙💧が止まりませんでした。
このお墓を守って下さっているSさんには、感謝しかありません🙇🙇🙇
クチンと言うのは、猫と言う意味みたいなものがあるらしく………
猫博物館
次は、欄の植物園です。
野生の状態を維持しながら、欄の育成をしているのです。暑くて大変です💦
いよいよマレーシア・クチン最後の晩は、クチンのRCと懇親会でした。
沢山のお食事とお話で盛り上がり、懇親も深めて、クチンの夜は更けて行きました。
いつの間にか☔雨になっていました。蒸してきて…
ホテルに帰ったら…寒〜〜い。全館室温が一定で、其々のお部屋では調節出来ずに、止めました。
でも〜毛布を頂き掛けて寝ました。
翌朝も…雨に☔
いよいよ、シンガポールはチャンギ空港へと飛び立ちます。