ゾワっとくる語尾
なんでしょうね。
何故なのか明確には分からないのですが
「昨日、こんなことがあったんだ」
「実は今日、デートなんだ」
「おれ、明日有休なんだ」
というような、語尾が「○○なんだ」で終わる表現に、なんだかゾワゾワするのです。
人が言っていても「うわわ」と思うし
noteで見かけたらそっと閉じます。
でも、ですます調なら違和感ありません。
わたしもよく使うし。
「わたしは、こう思うのです」
うん、嫌じゃない。
でも
「わたしは、こう思うんだ」
うわわ
ゾワゾワ…
…
「よね」を付けたい。
「昨日、こんなことがあったんだよね」
「実は今日、デートなんだよね」
「おれ、明日有休なんだよね」
「わたしは、こう思うんだよね」
ああ、安心する。
…なんでだろう。
恐らく、なのですが
このタメ口+言い切りの形に
青春っぽさや
意図的な幼さの演出や
わざとらしさや
自己陶酔、なんかを
感じとってしまうからなのではないか
と推測しています。
例えば
麦わら帽子をかぶった少年なんかが、
「俺たちは、仲間なんだ!」
と言う、あの感じのような。
もしくは、小学生のときに歌った
「みんな生きていて、友だちなんだ♪」
という、あの歌詞のような。
発した本人が子どもであれば気になりません。
だってそれは幼さの演出ではなく
幼さそのものだから。
女子高生だった頃、大人たちが無理して「チョベリバだよね!」とか言ってるのを白い目で見ていた、あの感じを思い出すのかもしれません。
『桃尻語訳 枕草子』(橋本治)を読んだときも感じたあの違和感。
誰がどんな言葉を選んでも自由だ、と分かってはいてもゾワっとするのを止められないし、わたしは使うことが出来ない。
「○○なんだ」と言い切ることが出来ない。
考えてみればわたしはいつも
語尾を濁しがちです。
言い切らない。
「そういう見方もあるよね」
「まあ、十中八九そうだと思うけどね」
「そんな人もいるんじゃないかな、たぶん」
「そうじゃないかなと思うよ、わたしは」
だって、世の中は不確かだから。
わたしが今、正義だと思っていることが明日もそうとは限りません。
わたしの考えが自然と変わるかもしれないし、
周りの意見や世論や作品などから気付きを得るかもしれない。
人ごみに流されたら、人は変わります。
それは悪いことではありません。
おかしい手の平は、どんどん返していったほうがいい。
二枚舌と言われても、どの口が言ってんだと自分で自分がおかしくなっても、今、この瞬間、自分の誤りに気付いたら、どんどん直していきたいと思うのです。
僕らは、間違ってたんだ。
変わらなきゃいけないんだ。
一歩一歩、進んでいくんだ!
…
よね。たぶん。
わたしは、そう思うけどね。
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