クレイジー沙耶香の短編

夜になると多くの人間は道具を使って発光する。
光の中には必ず人間が潜んでいる。

村田沙耶香「変容」(『丸の内魔法少女ミラクリーナ』)

外を歩いているとき、ふとした拍子に下水の臭いが漂ってくることがあります。

街は清潔な光に満ち
散歩道は掃き清められ
わたしたちはよそ行きで着飾って
木々は艶めき鳥はさえずっている

けれども、わたしたちは不潔なものをみんな地下に流して、自分たちの目に届く範囲だけを美しい風景に見せかけているのだな、ということを想起せざるを得ない瞬間です。

村田沙耶香の小説を読むと、その感じを思い出します。

そうだった。
わたしたちは綺麗な面だけを表に出して、美点ばかりを見せ合いっこして褒め合って、見られたくない醜い部分は隠して暮らしているけれど、本当は腐敗臭を漂わせた汚い人間だったのだった、という感じ。

読み終わった後、沙耶香には、わたしが綺麗事を並べて見せないようにしてきた黒い一面も、あの人がひた隠しにしている醜悪な裏の顔も、すっかりバレているということに気付きます。

あんまりグリグリえぐられるから、わたしには村田沙耶香の長編がちょっと、しんどいのです。

もういいよ沙耶香、人間の薄気味悪さはよく分かったから、それ以上続けなくていいよ。お願いだからもうやめて…という気持ちになります。
インタビュー記事などから察するに、ご本人はどうやら人間が好きみたいなのですが。

そこで、先日初めて短編集を読んでみたら、ちょうどよかったのです。

ちょうどいい沙耶香具合でした。

わたしは忘れっぽいので、ここに記しておきます。

村田沙耶香は、短編。
村田沙耶香は、短編。

ちなみに村田沙耶香は、作家仲間から「クレイジー沙耶香」と呼ばれているらしい。

作家というのは、何か起きたときに何の疑問も持たずにその場をやり過ごしてしまえる人はなれない職業だと思っています。
小さな違和感を分析して突き詰めて、それで人の狡さやグロテスクさを知ってしまっても怯まずに1人でかき分けて進んでいく胆力や精神力が無いと、小説を紡ぎ続けることなど出来ないのだろうなと想像されます。

そんな猛者たちの中で更に「クレイジー」と綽名が付くくらいですから、村田沙耶香は取り分け、なのでしょう。

でも思うのですが、果たして狂っているのはどちらなのでしょうね。

「何か起きたときに何の疑問も持たずにその場をやり過ごしてしまえる人」の方が余程、狂っていたりして。

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