子どもを産まないと決めた罪悪感について
普段は、仲良しの夫と2人で楽しく穏やかに、そこそこ忙しい日々を過ごしています。
でも、ふとした拍子にやってくるのです。
親子連れを見かけたとき。
公園を通りかかったとき。
知人の妊娠出産の報を受けたとき。
今日は、ときどき急に訪れるわたしの
子どもを産まないと決めた
罪悪感について、書きます。
我が家に子どもがいないのは
100%わたし起因です。
体のせいではありません。
気持ちの問題です。
わたしは、子どもの頃から子どものかわいさがよく分かりませんでした。
子どもを欲しいと思ったこともありません。
何回かnoteにも書いていますが、いつか欲しいと思えるようになるのかな、と思いながらもその日は訪れず、人生最愛と確信できる夫と出会っても、それとこれとは、わたしにとっては違うようでした。
夫と結婚、するかもしれないという段になったとき、これは事前に言っておかねばならぬだろうと思い、覚悟を決めて告白しました。
わたしは子どもを欲しいと思ったことがない。
これからそう思う日が来るかもしれないし、
来ないかもしれない。
恐らく、来ない可能性が高いように思う。
だから将来子どもが欲しいと思うのなら、
相手はわたしではないと思う。
というようなことを、平静を装いながら内心バクバクで夫に話したのを覚えています。
この機会を逃したら二度と現れないであろう最愛の相手に、破談覚悟で自分の気持ちを打ち明けるのは勇気のいることでした。
夫の返答はこうでした。
結婚したら子どもが出来るのかな、とは思っていたし、子どもは好きだし、2人の間に子どもを授かったら可愛いだろうな、とも思う。
でも、結婚するのは子どもが欲しいからという理由ではない。
赤ちゃんをお腹の中で育てて産むことで体に負担が掛かるのはどうしたって女性だし、それを押してどうしても産んでほしいとは思わないし、言えない。
あなたのことが好きだから結婚したいと思った。2人で暮らすのもまた、楽しいと思う。
そう。
夫は100点満点の答えをくれたのです。
結婚してからもわたしの気持ちは揺らぎ、
外部からも揺すられ、
その度に、子どもを欲しいと思えないという「普通ではない」自分にもがき苦しんで、苦しみの余り夫に半ば責めるような口調で当たってしまったことすらあります。
時に泣きながら心情を訴えるわたしに、夫は「自分は欲しくないとは思わないけれども、あなたの気持ちを尊重したい」ということを辛抱強く伝え続けてくれました。
本当に夫は、誠実な人なのです。
それなのに、夫も「欲しくない」という考えの持ち主だったら楽だったのに、とか、ウソでも「欲しくなくなってきた」とか言ってくれればいいのに、とか、正直且つ真摯に対応してくれている夫に対して失礼とも言えることを願った日もありました。
何度も話し合って
(というか夫のスタンスは全然ぶれていないので、ただわたしが迷い悩んで、夫に話して)
「わたしたちは子どもを持たない」
という結論に達し、今に至ります。
それでも
今でも
恐らく体には支障がないのに、あえて産まないという選択をしたことについて、罪悪感は突然、ヒタヒタと迫ってきます。
きっといいお父さんになったであろう夫に、自分の子どもを抱かせてあげられないことに対しても。
今後、わたしの気持ちがどう変わっていくのか、いずれこの罪悪感が薄れていくものなのかは、分かりません。
恐らく、薄らいだとしても完全に消えてなくなることは無いのでしょう。
夫は「今がこの上無く幸せだ」と言ってくれています。
たぶん、本心からの言葉なのだと思います。
わたしもまた、夫と暮らせてとても幸せです。
でもわたしには、夫に対しての申し訳なさをずっと抱えて生きていくのだろうな、という予感があります。
それはわたしが一生背負うべきものです。
わたしと結婚してしまったせいで
子どもを持つ喜びを享受できなかった夫に
せめてそれ以外の幸せをたくさん与えたい
それ以外の哀しみを出来る限り無くしたい
と思いながら、わたしはこれからも生きていくのだろうなと思うのです。