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甘味処におじさんが1人でいたら、わたしは見ます。

「お前のことなんか誰も見てないんだから、気にすることないよ」
というアドバイスを耳にしました。

的を射ている、ような気がしますよね。

確かに、店内の9割が若い女の子で、みんなそれぞれキャッキャしている甘味処におじさんが1人で入店しても、みんな自分たちの話に夢中で誰も見ていない、かもしれません。

でも、もしわたしがその場に居合わせたなら、わたしは結構、そういう異質な人を見て、ただ眺めるだけではなくしげしげと観察し、想像するタイプです。

気まずそうだな。誰かと来るつもりだったけれども、都合が悪くなっちゃった、とかかな。それとも最初から1人で乗り込むつもりだったのかしら。でもそれはわたしの偏見と思い込みで、実はわたしより余程常連かもしれないし、わたしが知らないだけで甘味界(?)の重鎮とか、あるいは有名ブロガーとかかも。
もしくは亡くなった妻との思い出の店に、ずっと来られなかったけれども今日、初めて1人で来たという可能性はどうだろう(飛躍した)。メニューをすごく真剣に見ているけれども、妻はよくこれを頼んでいたなぁ、なんて思い出に耽っているのだろうか…あ、手を挙げた。店員さんを呼んでるっぽいけど誰も気付いてない。おじさんピンチ!誰か気付いてあげてー云々。

逆に、こういうアドバイスもよく聞きます。

「頑張ってさえいれば、誰かが必ず見ていてくれるものだよ」

さっき、誰も見てないって言ったじゃない。
(しかも、わたしは見てるしね)

どっちが本当?

そんなこと言ったらなんの慰めにもアドバイスにもならないじゃないか、ということを承知で申し上げます。

何となくその場から浮いていて居心地が悪いときも、出来れば誰か(の中でも出来れば好もしく思っている人か偉い人か)の目に留まればいいなと願うくらい努力しているときも、周囲が見ているか見ていないかは、分かりません。

見るか見ないか、気付くか気付かないかって、個人差が甚だしいので。タイミングもあるし。

でも、例えばあなたがしたいことをしたいようにしている時。

それを見られていたら
後ろ指をさされたら
クスクス笑われたら
何か不都合があるでしょうか。

いや、無い(反語)。

敢えて申すならば…

お前のこと、もしかしたら誰かが見てるかもしれないけど、見てないかもしれないし、どっちにしろ恥じることはないんだから堂々と自分のしたいことをしたらいいよ。自信持って!

が、正解なのかなと思います。
(ちょっと長いけど)

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