劣等感に負けそう
負けそうです。
何に、なのでしょう。
何と戦っているわけでも、優劣を比べられているわけでも、勝ち負けを競っているわけでも順位を貼りだされているわけでもないのに、ときどき、どうしようもなく「負けそうだ」と思うことがあります。
口に出して言うときもあります。
ああ、もう、負けそうだ。
負けてしまいそうだ。
たぶん、その正体は劣等感です。
主に、子どもを持ちたいと思えない、ということから来るやましさ、のようなもの。
子どもを産み育てるという、生物としての使命ともいうべき行為を真っ当に行い、ごく自然な振る舞いで面倒を見たり、慈愛に満ちた視線を我が子に送ったりしている人を間近で見ると、ふいにその思いは高まります。
わたしも、出来ることなら
子どもが欲しいと思いたかったし
子どもを愛おしいと思える人間になりたかった。
でも、残念ながらその気持ちは、どこをどうひねっても出てきませんでした。
何か悪夢を見て夜半に目を覚ましてしまって、よくない想像ばかりが頭を駆け巡って、目をつぶっても不安が押し寄せてきて飲まれそうになって、大きな声を出したくなるのを抑えます。
ギリギリ、こらえます。
そのまま朝が明けるのを待って、アラームが鳴り始めるのを聞く。
そんな日が、ときどき訪れます。
わたしは、誰かを庇護する立場になったことがありません。
末っ子で早生まれで、体も小さく脆弱だったからいつも、同級生という間柄であってさえも常に後ろから付いて行く側、守られる側でした。
先輩になってもお局社員になっても、それは学校内や社内でのこと。本当に誰かを支え、守り、責任を持ったことはないのです。
わたしが負けそうなのは、自分の意識に、なのかもしれません。
女として生まれたからには、
結婚したからには、
子どもを産み育てるべきだと
誰に言われているわけでもないのに
自分で自分を縛り付けているのです。
でも、たぶん。
わたしと同じように劣等感に苦しみもがいている人が目の前で泣いていたら、わたしは励まさずにはいられないと思います。
あなたが引け目を感じる必要なんてない。
あなたは今、十分にがんばっているじゃない。
そう言って背中をさすると思います。
誰かが悩んでいたら、その人の苦しみが無くなればいいと願うし、もしわたしに出来ることがあるのなら、積極的に行いたいと思う。
でも自分に対してはそう思えなくて、ついうっかり追い詰めて追い込んで、いじめてしまう。
どうにもこうにも、ままならない日は、時々どうしようもなく、前触れもなくわたしを訪ねてくるのです。