異性愛って、なんだ?
わたしは自分のことを、シスジェンダー女性でヘテロセクシュアルだ、と認識しています。
体のつくりと性自認が一致している異性愛者の女性。
でも、本当にそう言い切れるのかなと「作りたい女と食べたい女」という夜ドラを見て思いました。
1回15分で全10回。マンガ原作なのだそうです。良質なドラマでした。
わたしは夫と出会うまでに幾度かの恋愛をしました。
相手はみんな男性でした。
でも、2-3か月お付き合いをしている内に段々「なんか違う」という気分になってきて、
その内、決まって相手からアドバイスをされるようになると
「なんでこの人にここまで言われなきゃいけないんだろう」
とゲンナリした気持ちになりました。
考えてみれば、わたしは生まれて30年ほど、母の顔色を窺って、母の機嫌を損ねないように過ごしてきました。
そういうわたしの様子を見て、わたしを好きになってくれた男性たちもまた、わたしを支配しようとしていたのかもしれません。
「このままじゃダメだよ」とか
「●●ちゃんみたいに周囲に気遣いが出来るよう努力しなきゃ」とか
「自立できるように、もっと強くなったほうがいいよ」とか、
ありとあらゆる助言を受けました。
そうか、頑張らなきゃ!と素直に思えるほどの度量が、わたしにはありませんでした。
わたしは夫と出会うまで、
わたしにはパートナーと関係を築いていく能力が無いのだろうか、
人を許容する大らかさが、わたしにはどうも足りていないのではないか、と思っていました。
だから夫と出会ってお付き合いを始めたときも、今はとても好きだけれども、これから果たしてずっと同じ気持ちでいられるのだろうかと日々不安に思っていました。
わたしはそれまで、好きな気持ちを1年以上持続させた経験がありませんでした。
でも、
夫とのお付き合いを続けていくうちに、夫はわたしに成長や変化を求めないことに気が付きました。
夫はわたしに強くなるよう指示をするのではなく、
わたしが元々持っている強さを褒めてくれました。
わたしを女性として好もしく思ってくれると同時に、人として尊重してくれました。
わたしの気持ちを大事にし、わたしが決断するまで急かすことなく待ってくれました。
母の顔色を窺うあまり、もはや自分が何を求めているのかを見失い、自分で自分のことを決めるのが怖くなっていたわたしは、
尊重される、という言葉の意味を初めて実感したように思いました。
わたしは導いてほしいのではなく、一緒に歩いてほしかったんだと
自分の求めていた答えを夫に教えてもらった気がしました。
夫と出会って10年、夫への「好き」は今も増殖中です。
知れば知るほど好きになっていく。
こんなことあるのか!と日々驚いています。
「作りたい女と食べたい女」のなかで、女性である野本さんが、女性の春日さんのことを好きになっていく自分に戸惑いを覚えながらも、
出会った頃は言葉少なで無表情だった春日さんが、だんだんと自分の気持ちを自然と口に出すようになってきて、心を開いてくれている様子を見て
「かわいいんだよな~」
とニマニマするシーンがあります。
これって、「逃げるは恥だが役に立つ」のみくりちゃんが平匡さんに対して
「野生のカピバラを手なずけた感覚?かわいい~!」
と身もだえる感じと寸分違わず一緒なんじゃないか?と思いました。
わたしもまた、夫を「かわいい!」と思う瞬間が多々あります。
尊敬している人をかわいいと思う、一見相対する気持ちが違和感なく同居する不思議。
わたしは、夫を人として敬愛し好もしく思っているのであって、
夫が男性だから好きなのかと問われたら、首を傾げざるを得ません。
なんかもう、性別なんかどうでもいいのです。
今のところその予兆はないけれども、もしいつか夫がトランスジェンダー女性であることをカミングアウトしたとしても、もし夫が望んでくれるならわたしは夫と一緒にいたい。
女装したいと言うなら一緒にする。
わたしは夫が好きなのであって、男性が好きなのではない。
性って元々グラデーションで、完全にぱっきり二分しているものではないのだそうで、しかも生きている間に揺らぐこともあるそうです。
これからの人生で何が起こるか分かりませんが、ただ夫に甘やかされ、わたしも夫を甘やかしながら生きていけたらいいなと思っています。