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彼らを羨ましいとは思わない、断じて。

「あなたはいいよね」

という、怒りと落胆と嫉妬が綯い交ぜになったような思いがよぎることがあります。

それはたとえば、屈強な体と磊落さを備え、同じ価値観の人たちばかりを従えた、コミュニケーション能力と統率力と自己肯定感の異様に高い人。

あるいは、エリートの家系で跡継ぎとして育てられ、エスカレータ式の一流大学を卒業した後、親の会社に入り着々と出世している人。

彼らのような人、つまり今までの人生で一度もマイノリティ側や劣位に立たされたことがなく、不当に見下されたり貶められたりしたこともないだろう人たちが、性被害のニュースについて話しているとき。

「自己防衛しろよ」
「冤罪だったら怖いわー」
「訴えるなんて恩知らずだよな」
「後から言うなんて卑怯じゃね」
「証拠出してみろよって話だよ」

そんな風に笑っているのが聞こえてくると
わたしの頭の中で、言葉が溢れてきます。

生粋のマジョリティはいいよね。
あなたたちにはどうせ、分からないよ。
そもそも、危ない目に遭ったことなんかほとんどないでしょう。
自分よりも体が大きい、あるいは社会的に口答えが許されない相手から無言の圧をかけられて、はっきりと拒否するのを躊躇した結果うっかり笑ってしまって、後から絶望と後悔の念に苛まれるなんて状況、想像もしたことないでしょう。

「自己防衛しろ」と注意されるけれど
気を付けたら「自意識過剰」と笑われ
拒否をしたらブスだの恩知らずだの罵倒される

そんな思いをしたこと、ないでしょう。
子どもの頃からすくすくと、頑張ったら頑張った分だけ評価されて、褒められて、引き上げられてきたんでしょう。

あなたたちはいいよね。
羨ましいわ。

思わず心の中で毒づいたあとにふと、わたしは本当に、彼らのことを羨ましいと思っているのだろうか、と考えます。

息を吸って吐くかの如く無自覚に他者の心を踏みにじり、注意されることも自省することもなく高笑いしている人たちが、わたしは本当に、心から、羨ましいだろうか。

いや、羨ましいとは思わない。

当たり前のように優位に置かれ、他者を慮らずに生きることを許されたまま大人になった彼らは、言い換えれば想像力というものを培う機会を損ない続けてきた人々、と言えます。

不憫です。

それに彼らは一見、向かうところ敵無しのようですけれども、内実脆いところがある気がします。
強い自分から逃れられないプレッシャーと実は内心で戦っているかもしれないし、いつか大きな挫折を味わうかもしれません。
そうでなくてもいずれは、漏れなく歳を取り、衰えます。

人生で初めて劣位に置かれたとき、果たして彼らは弱い自分を受け入れることが出来るのでしょうか。

キラキラして見えても
悩みなんか無さそうに見えても
自分とは異なる苦しみをたぶん、抱えている

みんな違って
みんなしんどい。

そう思う想像力は、なくさないでいたいものです。
例え打ちのめされて、自分ばかりが傷付いているような気分になったとしても。

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