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わたしは誰の物でもない
いやー、御社の締めの挨拶は素晴らしかったですね!
わたしの発表も、営業部のプレゼンもイマイチだったのに、終わり良ければ総て良しで御社に払拭していただいて助かりました!
…
弊部署主催の会議翌日、上司が取引先に電話している声が聞こえてきました。
え?
相手を上げる為に自分を落とすまではいいとして、わざわざヘルプとして時間を割いて発表してくれた営業(他部署)部員のプレゼンのことまで「イマイチ」って言い切っちゃう?
通常業務の傍ら、一生懸命準備して発表してくれたご本人の耳に入ったらと思うと、なんだか胸がぎゅうとなり、同じようなことが子どもの頃にあったことをふと、思い出しました。
母がママ友に、◯◯ちゃんは優秀よねぇーーうちの子なんて全然だから!いつもぐうたらしてるし、部屋もぐちゃぐちゃだし!全然勉強しないのよ、困っちゃうわよー。
そういう声が聞こえてきたときに感じる哀しみ。
わたしはわたしなりに努力しているのに、なぜそこまで否定され、笑い飛ばされなければならないのか。
抗議の意を訴えたりもしたけれども、聞き届けてはもらえませんでした。
上司の話も、母の話も、いずれも認識の違いによって生じた問題だと思うのです。
どこまでを「≒自分」と定義するか。
どこまでを「謙遜」の範囲に含むか。
わたしは、わたし以外の誰にも、わたしを貶める資格はないと思っています。
どんなに大好きな夫であっても、仲のいい友だちであっても、わたしはわたしのもので、誰の所有物でもないから。いわんや、会社の人をや。
わたしは、わたし1人を「自分」と捉えている。
母は、わたしを含む血縁家族を「≒自分」と捉えているフシがある。
上司は、家族は勿論、同じ会社に属している社員全体にまで範囲を広げて「≒自分」としている様子。
それだけ認識がずれていれば、そりゃあ普段から会話がちぐはぐになる筈だと思います。
本来、家族だろうが、血縁があろうがなかろうが、自分以外はすべて「他者」です。
誰かのことをモノのように扱ったり、言葉に耳を傾けなかったり、取るに足らない存在だと笑ったり蔑んだり、自分の感情をぶつけたり、力にものを言わせて捩じ伏せたり、そんなことを相手が誰であれ、行っていいわけがない。
だって、相手は他者なんだから。
自分の物では、ないのだから。
今、巷で話題の事件も、その辺りの認識が希薄だった故の出来事なのではないかなと、思ってしまうのです。