思いやりが伝わらない
小学生の頃、隣の席の子から消しゴムを貸してほしいと頼まれることがありました。
消しゴム、それは鉛筆やシャープペンとは違って大体1人1個しか保有していない上に、ノートに書きつけるタイプの授業を受ける上で必須のアイテムです。
故に、無くしたり忘れてしまったときは席が近い人に貸してもらう、ということにならざるを得ないけれども、貸す側も1個しか保有していない、且つ使用頻度は高いので、貸し借りには工夫が必要です。
小学生のわたしは頭を捻りました。
1日に何度も頼まれてその都度貸すのは面倒だし、相手も毎回お願いするのは骨が折れることだろう。
そこで、隣の席と自分の席の間くらいに定位置を設け「今日1日ここに消しゴムを置いておくから、勝手に使って。わたしに毎回許可を取らなくていいし、お礼も要らない。」と言ってその日1日、1個の消しゴムをシェアすることにしました。
今振り返ってみても、双方に無駄のない機能的なアイデアだなと思います(自画自賛)。
わたしの嫌いな言葉に「二度手間」があります。
わたしはすこぶる面倒くさがりやなので、出来ればいつまでもダラダラとしていたい体を嫌々どっこらしょと動かしたら、1回で済ませたいのです。
それなのに「あ、やっぱりこっちだった」「あ、間違えてた、あっちでよろしく」みたいな感じで右往左往させられると、ストレスのあまり目が赤く光りそうになります。
今思えば、わたしの面倒くさがりは生まれつきなのでしょう。
三つ子の魂百までと言うように、消しゴムを効率的に貸す方法を編み出したわたしと、今のわたしは当たり前ですが繋がっているのです。
今のわたしは、非同期型コミュニケーションが大好きです。
…いや、そもそもコミュニケーション自体あまり好きではありませんが、直接会ったり電話で話したりするよりは、行き違いの少ない、相手や自分の時間を否応なく拘束しない方法、すなわちメールやチャットでのやり取りが比較的楽と感じるのです。
電話で受けた問い合わせに、関係者をCCに入れたメールで返信したり、対面で聞かれた質問をチャットで返したり、します。
わたしとしては、何度も同じことを質問したりされたり、言い間違えや聞き間違えを防いだり、一度に複数の人と情報共有したり、といった利便性を追求した結果としてそのような行動を取っているのですが、どうも「冷たい/怖い」と捉えられることがあります。
よかれと思ってしたことが、伝わらない。
今思えば、わたしに消しゴムを借りた隣の子も「えっ俺と喋りたくないってこと…?」と怯えていたかもしれません。
わたしとしては、最大限の思いやりだったのですけれども。