子どもと友だちがいないことを励まされる、けど
わたしには子どもがいません。
友だちも、ごく稀に会う人が1人だけ。
基本的には最愛の夫と
薄ーい付き合いの会社の人と
ときどき会う生育家族と
ごく狭い人間関係で生きています。
わたしはそのことに対して、基本的に負い目も引け目も哀しみも感じていません(子どもがいないことについては、たまに夫に「ごめんね」と思うけど)。
夫への罪悪感についてはこちら↓
友だちが実際100人いたら、3日に1回誰かの誕生日パーティーが開催されて身が持たないし、最近A子とB美が揉めてるとか、C介とD雄が別れて気まずいらしいとか、色々面倒くさそう。
子どもがいたら、ママ友の話に興味ないことが顔に出過ぎて敬遠されたり、PTAに余計な事言って返り討ちに遭ったりして、最終的に子どもがいじめられそう。
きっと、たくさんの友だちに囲まれた生活も、子どものいる暮らしも、それぞれ良さがあるのだろうとは思います。
でも、わたしは面倒くさがりで嘘が苦手で、1人でいることをさして寂しいと思わないので、人間関係はこのくらいの感じでちょうどよく満たされているのです。
心から充足しているのです。
それなのに、なんだか分からないけれど
ときどき励まされます。
「友だちなんて、いなくても大丈夫だよ」
「いたらいたで、面倒なこともあるしさ」
「最愛のパートナーがいればいいじゃない」
「子どものいない人生もいいと思うよ」
うん。
だから
わたしもそう思ってるし
常々そう言ってるんだけど。
一生懸命言葉を選んで「自虐してるわけじゃないよ」「わたしは今の状態がちょうどいいと思ってるんだよ」というアピールをしてるんだけど。
それでもわたしの眼前にはときどき
「何故か励ましてくる人」が登場します。
たぶん、その人の心の奥底で「子どもがいなくて友だちもいない人はかわいそう」という感覚が拭えないのでしょう。
「でも令和だし、色々な価値観があるよね、気にしなくても大丈夫だよ!」と励ましてくれているのでしょう。
ありがとう。
でもね、結構です。
子どもの頃から培ってきた価値観を、大きなきっかけもなく変えるのはひどく難しいことだと思います。
虫が気持ち悪いとか
ナルシストって苦手とか
東京の人怖いとか
1回思いこんでしまったら、覆すのは困難ですもんね。
その延長線上に
子どもいない人かわいそう
友だちいない人かわいそう
もあるのでしょう。
自分の価値観と外れた生き方をしている人がいたとき、励ましたり無理に受け入れたりする必要、わたしは無いと思います。
「そういう人もいるんだね(わたしとは違うけど)」くらいの感覚で緩く受け流すのが、ベストなんじゃないかなと思います。