マスク無しの顔は情報が多すぎて
マスクをしていると
表情が分かりにくくて困りますよね。
という声をたまに聞きます。
…そうでしょうか。
以前noteに「マスクをしていなかった頃には戻れない」と書きました。
わたしは今でも、人が密集するような場所ではマスクをつけています。
主にニオイ問題です。
口臭や体臭や汗臭や香水臭、その他諸々の不快な臭いを軽減したいからです。
あ、この人の呼気が今、
空中の水分と合わさって
エアロゾルになって
わたしの鼻まで届き
粘膜に付着することで
わたしはこの不快な臭いを
感知しているのだな…
という想像を出来るだけしたくないのです。
ところが最近、それだけではないように思えてきました。
マスクを外した顔って
情報が多すぎるような気がするのです。
蔑みや嘲りや妬みや嫉み。
そういう、可能であれば受け取りたくない気持ちが、丸出しのような。
***
わたしは今、元気いっぱいのアラフォーですので、生まれたときに携帯電話はありませんでした。アナログネイティブです。
小学生の頃はドキドキしながら
同級生の家電に電話を掛け
中学生の頃にポケットベルが登場しつつも
授業中に手紙を回したり
放課後に交換日記を書いたりし
高校生になって初めてのPHSを持ち
大学生で携帯電話
社会人でスマートフォンに移行した、
言ってみれば「IT過渡期世代」です。
(勝手に命名)
電話か対面、もしくは手紙しかコミュニケーションの手段がなかった時代からPHS時代に移行し、片仮名20文字を10円で送れるPメールを手に入れたとき、わたしは狂喜乱舞しました。
なんて楽しいんだと。
でも、送れるのは20文字だけです。
濁点・半濁点・句読点も1文字としてカウントされます。
「バッキンガム宮殿で残高照会」などの、濁点が多い文章は1回では送れない世界です。
無料の通信アプリとは違いますから、2回、3回と連続で送るとそれだけお金が掛かります。
わたしは、対面や電話では多すぎて溢れ出してしまう情報を、可能な限りそぎ落として20文字にまとめる、その推敲の過程に楽しさを感じていた、気がするのです。
薄闇で鏡を覗くと実物より美しく見えるように
遠くから眺めたほうが本質が表れてくるように
マスクで顔を半分隠して有り余る情報を減らした方が、ちょうどいい場合や関係性もあるように思うのです。