子どもぎらい
かっこいい
素敵
おしゃれ
尊い
ファビュラス…
対象の素晴らしさを表現する言葉はあまたあれど、わたしは「かわいい」に勝るものはないと思っています。
例えば「かっこいい」は、減りますよね。
顔に鼻くそがついていたら
バナナの皮で無様に躓いたら
お腹に肉がついたら
かっこいいは確実に、減ります。
でも、かわいいは減らない。
顔に鼻くそがついていても
バナナの皮で無様に躓いても
お腹に肉がついてきても
かわいいは、かわいい。
むしろ、ダメなところや失態が露呈してこそ「かわいい」が盤石になる可能性すら秘めているのです。
わたしも身に覚えがあります。
犬が臭かろうが吠えようが粗相しようが「でも、かわいいからなぁ」とニコニコしてしまうし、結構な手間暇をかけてわたしが作ったジャムを夫が誤って床に全部ぶちまけてしまっても「もう、かわいいなぁ」といそいそと一緒に片付けることが出来ます。
かわいいは、無敵なのです。
だから人間の子どもは基本的に多くの大人から大目に見られ、甘やかされているのだろうなと思います。
…ただ、このnoteにしつこいほど何度も書いていますがわたしは、人間の子どもを特別にかわいいとは思いません。
彼らは概ね距離感おかしいし横暴だし騒がしい。
わたしの苦手とする要素をすべて持っています。
「かわいい」という感覚があれば免罪符として有効だったのでしょうけれど、わたしにはその一発逆転が起こり得ない故に彼らに向ける目に一切の混じり気がなく、子どもだから許せる、という感覚が皆無です。
むしろ、甘えくさって我儘放題の子どもを見るにつけ、背後から近寄っていって「子どもだからって何でも許されると思ってんじゃねえぞ…」とドスのきいた声で呟きたいとすら思う(怖い)。
そもそも人間って動物に比べて
あんまりかわいくないような気がします。
単体だとひ弱なくせに集まると強気になるし
地球を守ろうとか言って恩着せがましいし
常に一緒で手とか繋いでるのに嫌い、とかあって
ややこしいし面倒くさい。
それが全体に小さくなっても
頭部の比率が高まっても
言動が覚束ない様子でも
(つまり子どもであっても)
わたしの所見はそれほど変わらないのです。
かわいい、は強い。
強いからこそ、みんなの「かわいい」が適用されないわたしみたいなのも一定数いた方が、全体としてはバランスが良くなる…
かもしれません。