
「あんなによくしてやったのに」は大体、的外れ
恩を着せられることって、ありますね。
あんなによくしてやったのに
恩を仇で返すつもりか
あなたの為にどれだけ苦労したか
みたいなこと。
確かにその節は、あざした。
でも、別に頼んでないんだけどな、と思います。
でもまぁ、わたしも人間が小さいので、そう仰りたくなる気持ちはよく分かります。
あ、書類渡したのにお礼言わないんだ、とか、わたしはこの人が休みの日に代理対応したけど、わたしが休みのときは無視なんだ、ふーんとか、思っちゃう方なので。
両親に育てられ
生家を出て夫と結婚して
子を持ったことはない
上司になったこともない
つまり、庇護する側に回ったことのないわたしには「よくしてやった」と言えるほどの経験はありません。
それなのにちょこちょこ非難めいた気持ちになっちゃうわけですから、ときには人生を賭して手間暇をかけ、目にかけてきた人から期待した見返りがなかったら、小言のひとつも言いたくなるだろうなぁ、さぞかし。
とは思います。
ただ、わたしの微かな親切心で小さく執り行ってきた経験だけでも、相手からすごい感謝されることって、大概いつも不意打ちなんですよね。
こちらは何というほどのことでもなく、いつもの習慣で、とか、わたしのを片付けるついでに、とか、そういう何でもない(とこちらが思っている)タイミングで、思いがけなく感動されることが多い。
つまり、
してあげた人と
してもらった人は
他者=別の人間。
だから当然、感じ方も受け取り方も違う。
これに尽きるんですよね。
だから、こちらが一生懸命、身を削って致したことが相手に響かず、下手すると「余計なお世話」「お節介」「邪魔」などと捉えられることも大いにあり得るということ。
そう思うと、あんまり人の為に生きない方がいいんじゃないか、という気分にもなってきます。
わたしはわたしのしたいことをして
したいように生きればいいんじゃないか。
その過程で、お手伝いできることはするし
好きな人には惜しみなく手を貸す。
お礼はいらない。
だってわたしがしたくてしてることだから。
そのくらいのスタンスの方が、お互い軽やかでいられるんじゃないかなと、思った次第です。