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それは本当に「外向的」なのか
混雑した電車の中で体温の高い人と背中合わせになると、相手の熱が背中の接地面からじわじわと伝わってくるのを感じることがあります。
暑い。
そして不快。
温度が高いことが嫌なのではありません。
あくまで「人から伝わってくる」ということが不快なのです。
この熱はこの、後ろにいる人が生じさせている体温から来るものであるという意識、それがわたしの不快の元なのです。
例えば、まあまあ疲れているときに乗り込んだ、そこそこ混んでいる電車で、近くの席が今正にひとつ空いたとき、あなたならどうしますか。
わたしは、座りません。
せめて2~3駅は、そのまま待機します。
座りたい素振りを見せる人があれば譲ります。
何故かって、すぐに座ると前の人の温もりや湿り気がそこに残っていることを感じる可能性が高いからです。
それらを察知してしまうくらいなら、まあまあ疲れた自分の体に鞭打って立ち続けた方が、わたしにとってはマシなのです。
***
ときに、夫の友人で、ひどく寂しがりやの人がいます。
彼はコミュニケーションの鬼で、その辺の知らない人にすぐ話し掛けます。
人といることが大好きで、総じて距離感が近く、わたしなど、ただの旧友の妻であって共通点も何もないのに、何かというと我々夫婦の用事に付いてこようとします。
単純に社交的で外向的で、人が好きなのだろうと思っていました。
でも、しばらく観察を続けてみたところ、彼はしばしば会話から離脱してスマホに傾注し始めるし、人の心理についての深い話を避けたがってすぐに茶化すし、そもそも人の話をほとんど聞いていないし、覚えてもいません。
彼にとっては「すぐ傍に人がいる」「いつでも喋れる」「ぬくもりを感じられる」という事実が大事なのであって、他者の心情を知ったり思いを馳せたりすることには興味がないようです。
わたしは彼とは、真逆なのかもしれません。
わたしは、人の温もりを直接的に感じたくはない。
会うのはときどきでいいし、触れたくないし、間接的な温度すら感じたくない。
けれども人がどう感じ、どういう思考の流れでその結論にたどり着いたのか、そういうことを知りたいとは思う。
noteを読んだり書いたり、本を読んだりドラマを見たり、物語から離れることが出来ないのも、人間というものを深く知りたいという思いからだと思います。
…
彼は本当に「外向的」といえるのだろうか。
わたしは本当に「内向的」なのだろうか。
そんなことをふと、思いました。