「あなたには分からない」と言われても
「あなたには分からない」と
言われることがあります。
たとえば
現場の苦労は分からない、とか
年寄りの気持ちなんて分からない、とか
素敵なご主人がいる人には分からない、とか。
…
はい。
そうですね、分かりませんね。
としか言いようがありません。
(でも言うと怒られるから黙ってる)
分かるはず、ないとわたしは思います。
わたしは、
あなたではないから。
現場経験も無いし
後期高齢者になったことも無い
素敵じゃない夫を持ったことも無い。
でも
だったらあなたには
本社勤務の苦労が分かるの?
就職氷河期の憂鬱が?
過干渉の母親を持つしんどさが?
わたしにあなたの苦しみは分からないけれど
あなたにだってわたしの辛さは分からない
それは、同じでしょう?
と思うのです。
わたしは寧ろ、簡単に「あなたの気持ちはよくわかる」などと言う人の方が信用できません。
わたしたちは他者同士なのだから、お互いよく分からないのは当然だという前提で話し合った方が建設的だと思うのです。
…
子どもを産んだことのない人には分からない、というのもそう。
とすると「子どもを産んだことがある」という共通点を持つ人は、完全に同じ気持ちを共有している、と言えるのでしょうか。
母親同士は、必ず理解し合えるのでしょうか。
例えば虐待をしてしまった人がいたら
同じ口で責めるのではないですか。
信じられない、母親なのに。
同じ母親として理解できない、と。
あるいは
男には分からないよね、と共感を求められることもあります。
男ってみんなバカだよね、とか。
確かに「男ってなんでこうなの…」と思うこと、あるし、いわゆる「男らしい男」がいなくなればもうちょっと、世の中良くなるんじゃないのと夢想することも、ある。
でも、どうだろう。
女同士の連帯物語は好きだし、キャッキャウフフの世界に身を投じる陶酔はあるけれど、同時にわたしはバカリズムさんの書いた「架空OL日記」を読んで驚愕した覚えがあります。
なぜ。
なぜわたしたちの物語を、男性であるあなたが知っているの?
***
洞察力や想像力は、経験を超えることが出来るのかもしれません。
逆に、想像力が伴わないことで豊富な経験が無に帰する場合も。
結局のところ、人間同士の相互理解において、属性や経験や背景はあまり関係ないのではないか、と思います。
わたしには愛する夫と、信頼する友だちがそれぞれ1人ずついますけれど、それぞれ生まれも育ちも環境も、夫とは性別さえ違います。
それなのに、実際に生まれも育ちも環境も近い人たちよりも断然、近くに感じるからです。
…
そう考えると
遠い遠い国の人
属性も能力も性別も見た目も違う人
まったく別の人生を歩んできた人
自分とひとつも共通点がないように思える人とだって、もしかしたら分かりあえるかもしれない。
それはむしろ希望、なのではないか
と思うのです。