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同じ日本人として誇らしくは…ない。

大谷翔平選手の快挙は
同じ日本人として誇らしいです!

という物言いに、疑問を持っています。

だってどう考えても
おこがましい。

多くの「誇らしい」らしい人たちと同様、わたしは大谷翔平選手に何の貢献も寄与もしていない、ばかりか会ったことも見たこともありません。
それをただ「日本人である」という薄ーい共通点で一緒くたにし、誇りに思ってもよいものでしょうか。

同じ男性/女性として誇らしいです!
とかもよく聞きますけれども

性別が同じってだけでその偉業の仲間入りしちゃっていいと思ってるの?
ちょっと図々しいというか…

カテゴリー分け
広すぎない?と思います。

例えばもう少しだけ、誇りに思う対象を広げてみたらどうでしょう。

同じ人間として誇らしい

同じ類人猿として誇らしい

同じ哺乳類として誇らしい

…同じ哺乳類?

でも、何の貢献も寄与もしていない、ばかりか会ったことも見たこともないけれども一応共通点がある、ということだけで誇りに思ってよいのならば、同じようなものではないでしょうか。

クジラは超音波を発することが出来て
同じ哺乳類として誇らしいです!とか

ボノボはごく平和的な社会を形成していて
同じ霊長目ヒト科として誇らしいです!とか。

ひとつも関係ない大谷翔平選手を誇るのと、肉眼で見たことのないクジラやボノボを誇るのと、何ほどの違いがありましょうや。

今度、同じ日本人として誇らしいですよね!と言われてモヤモヤしたら、こう答えてみようと思います。

そうですね。
同じ真核生物として誇らしいです!

そのくらい、おいコラどこで区切ってんだ問題だと、わたしは思うのです。

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