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加齢、それはモテからの解放
おかっぱ頭にしました。
わたしのヘアスタイルは、カットの回数を重ねるほどに真のおかっぱへと近付いています。
有名人で言うと片桐はいり
CMで言うとクレラップ
火垂るの墓で言うと節子
になりつつあります。
生まれた時からわたしはアジア系の顔立ちで
長じた後もエキゾチックではない方の
セクシーではない方の
フェミニンではない方のそれでした。
端的に表現すれば「ど日本人」である自分には、もしかするとおかっぱ頭が似合うのではないか、という予感は20年も、いや30年も前からあって、そこに疑いの余地は無かったわけです。
それなのに、なぜ踏み切らなかったのか。
恐らく「モテ」の為だと思うのです。
「モテ」を意識するに至った理由は
大きく分けて2つです。
1つは、とりあえず多くの夫候補から「いいな」と思われておきたい、出来る限り選択肢を増やして、その中からマイベストに狙いを定めたい、という異性愛者としての欲求。
もう1つは、若い女として可愛らしさで評価された方が得ですよ、もしくは可愛くないと損をしますよという外部からの決めつけや煽りや呪い。
こんな髪型にしたい、と告げても「えーそれは…可愛くなくない?」と美容師に阻まれるケースすらありましたし。
個人的要因と
社会的要因。
わたしは晴れて中年となったことで
そのどちらをも、すっきりと手放しました。
思えば若い頃、モテるか、モテないかという問題は必要以上に重くのしかかってきたものです。
今はそうでもないのかもしれませんが、当時(2000年前後)は人間的にいかがなものであろうか、という人物であっても「でもモテる」という1点だけで逆転勝利が狙えた時代でした。
今、わたしは負け犬の遠吠えでも苦し紛れでも負け惜しみでもなく、心からモテたくありません。
というか、まかり間違ってモテてしまったら面倒くさい。
自らが求めていないときの、他者からの性的な好意のまなざしは恐怖でしかありません。わたしにもう、モテは要らない。
モテ、つまり他者評価から開放されたわたしが今、優先すべきことは1つだけです。
「自分が、どうしたいか」
その髪型、ヘンだよと笑われても、男受けしなさそうと嘲られても、わたしはもう、狼狽えたり迷ったり傷ついたりしません。
へえ、わたしのかわいさが分からないなんてセンスないなー
この人は今も他者評価で生きているのかな、かわいそうにと、心の中で思うだけ。
加齢するほど、自由になります。
今がしんどくても、きっと大丈夫です。