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自己決定権は、渡さない。

ダメって言ったでしょ!
何度同じこと言わせるの!
はやく来なさい!
ほら、行くよ!

公園を散歩していると、そんな声が方々から聞こえてきます。
子どもというのは、何かというと叱られて大変ですね。

自己決定権が無いというのは憐れです。

子どもは働かなくていいし
責任も無く
遊んでいればいいだけの気楽な身分…
と言えなくもありませんが、わたしはそんな子どもを羨ましいとは全く思いません。

ただ、子どもは成長すれば保護者の扶養から外れ、いずれ自由になる可能性が高いのでまだマシです。

置かれた境遇や状況によっては、未来に発展的な希望が持てない人もいることを考えると、暗澹たる気持ちになります。

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女性が外で働くことが一般的ではなく
働くと「職業婦人」などと揶揄された時代。

結婚して子どもを持つことが
「女の幸せ」と決められていた、
かつての女性たちもまた、そうでしょう。

親に従い
嫁げば夫に従い
老いれば息子に従う。

家族の世話を365日24時間
不払い労働で執り行っているのに、
家庭外で労働を行った対価を
得ているだけの親や夫や子に
「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」
などと虐げられる。

「扶養から外れ、いずれ自由になる可能性」は
女性、というだけで初めから与えられない。
身近な男性に縋って生きる以外の選択肢は無い。

出口は、無い。

なんと、理不尽な世界でしょう。

適性がうまく嵌れば違和感なく過ごせるパターンもあったのでしょうが、「普通」から外れた場合のことが想定されていない危うさがあります。
でも、その「普通ではない」人たちの声は、無いものとされてきたのでしょう。

家父長制は、滅茶苦茶な理屈の横行を許してきたバグだらけのシステムだった、と言えます。

昭和って、一体誰にとっての「古き良き時代」なのでしょうね。

***

ところで、わたしは若い頃から奢られるのが苦手でした。
何かしらのお礼や歓送迎会などの、会計を持ってもらう理由がはっきりしている場合を除き、基本的には自ら割り勘を申し出ていました。

支配、されたくなかったのかもしれません。

せっかく手に入れた自己決定権を
数千円や数万円ぽっちで手放したくはないし
その口実すら相手に与えたくなかった。
かわいくない、と言われても。

無論、当時は言語化できておらず
「理由もなく奢られるのはなんか嫌」
と思っていただけでしたが。

わたしは可能な限り
すべての人と対等でありたい。

だから、自分の欲しいものや食べたいものは
自分の収入に見合う分だけ
自分で買って、自分で楽しみたい。

働く権利を奪われない時代に生まれ、経済的に自分の足で立って歩ける境遇を与えられたことを、存分に活かしたいと思うのです。

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